僕と新たな人生と過去の痛み

S会という不健全な宗教団体で長年幹部として活動し、やめてからも心の痛みと向き合い、新たな人生への向うためのブログ。すこしでも共感してくれる人と年齢問わずにお友達になれたら嬉しいな。月数回の更新頻度。ツイッターもやっています。

批判に対する恐れと、会内での報告をするルール

学生時代の会内では、報告連絡相談ということがきつく言われていました。

 

あれは2年生だったでしょうか。

 

確か雨の日の夜だったように思います。

 

講師(40代の方)はどこかにでかけていました。

 

講師がいない部室の中で、3〜4人で会話をしていました。

 

部室は大学から少し距離の離れたところにあり、親鸞会が借りているところでした。

 

部室には、このような机が並べられいて、その上には紙皿に入った一口サイズのチョコレート等のお菓子がはいっていました。

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講師がいないということもあり、みんなでお菓子を食べてリラックスしようというリクレーションみたいな時間だったと思います。

 

当時は、平日5日間、ほぼ毎日部室でなしかしらの集まりがありました。

 

講師の方の講義は平日3〜4日間、残り1〜2日間は学生だけで集まって仏教の勉強をしたり、おかしを食べながら自由にしゃべったりもしていました。

 

休日は2日間、まるまる講師の講義が入っていました。

 

なので学生だけで集まって話せるのは、講師がいるときに比べて、自由な気持ちになり少しいいたいことがいいやすい環境だったと思います。

 

話は戻しまして、その会話の流れの中で僕はあることを言いました。

 

「関東の学生のやりかたはよろしくない。関西にいったけどあちらのほうがよかった。」

 

僕は関東の学生部に所属していたのですが、関西の学生部の運営のやり方をみる機会があったのです。

 

具体的に何がというのはあまり明確には言えてなかったと思いますが、

 

僕なりに関東のやり方に問題があって改善する必要があることを皆さんに伝えたかったのです。

 

実際に関東のやり方で、みなさんが疲弊しているのは明らかでしたし、みなさんのためにもという思いでした。

 

関東の狭いやり方にとらわれずに、関西もみてほしい、という気持ちでした。

 

そのためにも関西の学生たちのやり方と比較して伝えました。

 

そのあと、ある先輩と口論になりました。

 

その先輩と何をしゃべったのか覚えていませんが、

 

まずいことを言ってしまったっていう感覚と、

 

わかってもらえていないという感覚を

 

覚えています。

 

今、振り返ると、当時から、会話のできない人、感情的になる人が多い集団でした。

 

 

翌日あたりに、所属している講師の次に上の立場である、学顕クラブという立場のGさんから電話がありました。

 

「はい、カインドです。」

 

「カインドくんのことだから、そんなことはないと思うんだけど、

 

昨日、会を批判しませんでしたか?

 

昨日ある人から聞いたんだけど。」

 

ある人というのは少し口論した先輩のことです。

 

僕は当時は親鸞会は唯一真実を伝えている団体だと思っていて、

 

僕は大学の授業を休んでまで布教活動などをしていてみなさんから信頼は厚いと思っていましたので、

 

親鸞会に貢献しているとの自負はあったし、批判や否定をするような人間でないことは周りは理解していると思っていました。

 

なのに、僕を「会を批判しているかも」ってちょっとでも疑われたことはかなりショックでした。

 

僕は怒り口調になって、

 

「そんなことはありませんよ。」

 

と強くいいました。

 

「わかりました。」

 

と学顕クラブのGさんはいい、一旦電話は終了しました。

 

当時はこの出来事を誰にも相談することなく、自分の中にひめていて、

 

心の傷みたいなものが残りました。

 

 

 

それからしばらくして、

 

僕は教学講義というものを受講するようになったのです。

 

当時は教学講義にでるためには、教学試験というものに合格する必要がありました。かなりの問題量で勉強してから僕は1年半かけて合格しました。

 

合格までの費用に累計3〜5万円くらいはつかっていたと思います。(学生にしてはまあまあ大金でした。)

 

いざ教学講義をうけるとなったさきに、

 

先輩からある誓約書を渡されました。

 

「活動に対する不満や批判的言動は絶対に致しません」
「本会を誹謗中傷する者があった場合は、上司に直ちに報告致します」
「誹謗する者を知りながら黙認した場合には、どんな処罰でも受けます」

 

こちらにサインしなければ、教学講義をうけることはできないというのです。

 

当時は教学講義をはやく受けたいと思っていましたし、

試験さえ合格すれば受けれると聞いていたので、

かなり努力をしてをしていました。

 

なのに、こんなことにサインをしなければ、いけないというのか。

真面目な僕は、サインをすることはちゃんと守るというタイプなので、

これは本当に心苦しいものでした。

 

30分くらい悩んでから、心を殺して、無理やりサインしたのをおぼえています。

 

そして、いつかの先輩が、僕の態度を批判と受け取り、

上司に報告したことは、こういったことを上から強要されていたのか、

ということもわかったのです。

 

 

最後に、

たまたまみつけたサイトにこんな記事がありましたので、

自分の心境と同じですので、またいつかこの記事を見直したいと思うので、

自分のためにのせておきます。

信じるということ