ブログやツイッターの特徴
目的
①学生時代に親鸞会の価値感を受け入れてしまったためその価値感をぬいて自分らしい価値感に戻し、より精神的に成熟すること。
僕は、大学時代に親鸞会にであいましたが、以前から自分の思いをあまり大事にできずに親や誰かのいった価値感を過剰に重視して、進路等の重要な選択をしていました。精神的に未成熟な状態で親鸞会にであい、親鸞会だけが正しいのだという彼らのパワーもあいまって、僕は親鸞会の価値感に染まってしまいました。なので親鸞会の価値感を理解して、彼らの価値感とお別れをして、自分らしい価値感を育成したいと思います。そして人間関係も仕事もとことん楽しめるようになりたいと思っています。
②浄土真宗の教えに親しむこと。
こちらは少しづつですが、浄土真宗の教えを理解していこうと思っています。信前ですし、あくまでも自分の理解や味わいですが、自分なりに 表現していこうと思っています。
文章の表現方法に関して
・「親鸞会に〇〇をされた」という100%親鸞会のせいにする表現を使ってしまう場合があります。
「親鸞会に○○された。」「親鸞会が悪い」「親鸞会のせいで」っていう言い方やあり方は、受け身なため使っていて違和感はあります。本当は「自分には○○の課題があって、親鸞会の○○を受け入れてしまった。」などの主体的な表現を使いたいです。自分で選んだんだっていう表現を使えるようになりたいです。仏教の言葉でいうと、自分には〇〇という原因(因)と親鸞会の〇〇という縁があったため、苦しんだ(果)っていう表現が使えるといいなあ、と思っています。
ただ、まだまだ痛みの気持ちが大きく、親鸞会が100%悪いっていう表現を使ってしまうこともあります。(親鸞会は悪くないとか、親鸞会を擁護している訳ではないです。)成長過程であると温かく見守っていただけると幸いです。
・現時点では僕の個人的な情報をあまりのせておりません。
住んでいる地域、年齢、など個人が特定される可能性があることは表記しておりません。これは僕のブログが親鸞会の上層部に発見され、個人が特定され、もし僕が彼らに批判的な対応をとられたらとても怖いと感じているからです。この怖さが低減し、また読者の方とより交流したい、またより親鸞会であった出来事を伝えたい、等の気持ちが強くなれば、もう少し具体的な内容を書くかもしれませんが、現時点ではこれが精一杯の書き方だと感じています。
・◯◯先生、◯◯上人、といいかった言い方をせずに、◯◯さんと書いています。
親鸞会時代に思っていもいないのに、〇〇先生と言いすぎて、過去しんどくなった経験があるため、今はそういった言い方をしておません。また言いたくなったらいうかもしれません。
※内容は随時更新していきます。