僕と新たな人生と過去の痛み

S会という不健全な宗教団体で長年幹部として活動し、やめてからも心の痛みと向き合い、新たな人生への向うためのブログ。すこしでも共感してくれる人と年齢問わずにお友達になれたら嬉しいな。月数回の更新頻度。ツイッターもやっています。

昨日親鸞会員としゃべって思ったことと、それをうけて今日カウセリングをしたいこと。

書いている日は、5月22日です。

 

よんでくれている人はありがとう!

 

昨日、親鸞会員の方としゃべりました。

 

本人の許可をえていないので、具体的なことはかけないので、かなりぼかして書きたいと思います。

 

彼女は、親鸞会内で頑張っている人で、

 

でも親鸞会に染まりきることなく、

 

自分をもっている人です。

 

人としても魅力のある方です。

 

 

僕がよくしゃべる親鸞会員の友達もそうですが、

 

彼等に共通しているのは、

 

親鸞会内の組織や、人間関係、また講師や高森さんの性格には、

 

問題があると思う。

 

でも、教えは正しい。

 

もしくは自分が問題にしている後生を問題にしている団体は親鸞会しかしらない。」

 

という認識です。

 

会員で比較的健全に活動している人はこういう認識の方が結構いるのではないかなって思います。

 

 

話は戻しますが、

 

彼女の話をきいていると、

 

子供のころから、

 

・人生の目的は何か。

 

・私はよいことできるのだろうか。

 

・すべての幸せは続かない。続く幸せなどあるのだろうか。

 

など気になって、ずっと求めていたようです。

 

体験発表とかでよくきく内容と少しにていました。

 

それで、親鸞会にであい、この教えに答えがあった、というのです。

 

 

あといっていたのが、

 

「もし親鸞会の教えにであわなければ自殺していただろう。」

 

と言っていました。

 

 

この言葉は、講師の方からよく聞いた言葉でした。

 

 

ちなみに「親鸞会に出会わなければ自殺していた。」

 

と思ったことは僕は一度もありません。

 

むしろ、親鸞会に出会ってから、やめてから、

 

世の中の普通の感覚にもどったとき、

 

あまりにも多くのものをうしなってしまっていて、

 

自殺したいと思うようになったのです。

 

親しい人の前では、「自殺したい。」って口癖になっていました。

 

ただ、心の底では、生きたい、生きてハッピーになりたいって思っていたけど。

 

 

今は、だいぶと元気になって、

 

そんなことは全く思わなくなりました。

 

僕は、基本的には、根っから明るいほうなので、鬱とかとか無縁のタイプかと思っていいますが、

 

まさか自分がそんなことを思うとはおもってもいませんでした。

 

 

 

はい、、、

 

で、彼女に申し訳ないですが。。。

 

 

僕は、この言葉は嫌いです。。

 

好きか嫌いかでいうと嫌いです。

 

なぜなら、

 

「聞かないと自殺していた。」

 

っていう言葉をきくと、必ず聞きなさい。

 

って言われているように僕は感じるからです。

 

 

少なくとも、講師の人が言っている時はそう感じていました。

 

もしくは、

 

「聞かなかったら自殺していた。

 

それほどオレは人生の目的探しに真剣だったんだぜ。

 

お前はどうだ?

 

そんな真剣だったか?

 

教えの理解がすすむとこういう理解になるんだよ。」

 

 

みたいな風に僕は感じていました。

 

なんか怖いです。

 

きもいです。

 

 

戦時中の臭いがします。

 

 

そういった話をしている内に、

 

彼女としゃべるのはとても楽しいのですが、

 

あとでとてもしんどくなってしまいました。

 

 

それで翌日である今日もしんどくなって、

 

もともと予定していたカウセリングでそのことを相談しました。

 

カウンセラーは、KMさんです。

 

KMさんは、以前宗教に入っていたこともあって、

 

ある程度宗教の理解をしている人です。

 

 

僕は正直未だに高森会の教えにとらわれています。

 

とくに、反論できないところは、

 

殺生罪をつくっているから、その結果を後生うける、

 

ということです。

 

これは、未だに反論できずに、

 

自分が生き物を殺していきているってことに目をあてると、

 

気分が沈んじゃいます。

 

で、その結果、後生一大事がおきるのを解決するのが弥陀の本願だ、

 

みたいな、感じです。

 

 

ただ、はっきりいって、

 

もう高森会に戻るつもりもないし、

 

自分を生きたいです。

 

 

こんな言葉に影響をうけたくないです。

 

でも反論できないのが悔しい。

 

影響を受けているのをどうにかしたい。

 

 

聞かなきゃいけないんじゃないか、

 

という恐怖心や不安が今も強く残っています。

 

 

くそーーーー

 

ほんま、腹立つ。

 

 

笑ってふっとばしたいけど、できない。

 

 

ただ、カウセリングをうけて思ったのは、

 

宗教って人の心を豊かにするもの。

 

より精神的に安定し、自由にしていくものってのは確かだ。

 

また精神的に成長すればするほど、心って安定し、自立していくので、

 

すくなくとも高森会の話をきいて、

 

 

心は不安になるし、

 

心は不自由になるし、

 

親鸞会できけば極楽にいけるかもしれないけど聞かなければ地獄という、

 

ものすごく依存させられてしまうし、

 

 

少なくとも精神的には未熟になるのは確かだな、

 

と思った。

 

 

あと、なんでも罪としてとらえるのも

 

どうかな〜って思う。

 

五逆罪とかも、家族に死ねとか言ったらとてもひどい罪で地獄いきだ、

 

って言われているけど。。。

 

 

僕は親鸞会で苦しんでから、

 

親にひどい言葉を沢山いったけど、

 

その時はショックをうけていたけど、

 

きいてくれたし。

 

今となっては忘れているだろうし。

 

 

そこまでひどい罪っていう風にはならないと思うし。

 

お母さんはむしろ聞き続けてくれていた。

 

これって罪なのかな。

 

 

というか、死ねっていっても、

 

「どうしてわかってくれないんだ。わかってほしい。」

 

って意味で僕は親に言ったから、

 

ほんまにしんでほしいって訳ではなかったし。

 

まあ、一時的に思って言ったこともあるけど、

 

でもそれは一瞬の怒りだし、

 

人間だからそういうことってあるし。

 

 

それってそれほど罪としてとらえるべきことかな〜。

 

見方をかえれば、

 

それだけ親に甘えているってことだし、

 

この言葉をいっても、親との縁はきれないだろうって

 

いう親への信頼でもあるし、

 

ポジティブにとらえることもできるよね。

 

また、僕はこんなひどいことを言ったら、親からみすてられるかな〜って

 

おもったけど、見捨てられなかったし。

 

親鸞会とか関わっているときに、親とのつながりをけしてしまったけど、

 

この過程を通じて、また親とのつながりを感じれるようになったし。

 

そんな悪いことなのかな。

 

いいこといっぱいあったよ。

 

あと、親もそれほど深刻にとらえていなかったし。。。

 

僕に五逆罪つくったから地獄にいけーなんて思わないし。

 

 

 

とかいっていたら、

 

親鸞会に「それは浅い、

 

もっと深いところで悪ばかりだ。」

 

って言われそうだけど。

 

 

たしかにそうかもしれないし、そうじゃないかもしれないけど、

 

少なくともそういう考え方をきいて、

 

僕は暗くなるな〜。

 

仮にそれが真実だとしても、すくなくとも今はききたくないな〜。

 

今は必要ないな〜。

 

 

自分が元気になれる話を聞きたい。

 

自分がワクワクする話を聞きたい。

 

自分が幸せになる話をききたい。

 

自分が自立できる話をききたい。

 

自分が不安になって、恐怖に縛られて、依存させられる話はききたくない。

 

 

っていうか、

 

カルト宗教の特徴の一つが、

 

カルト宗教を辞めたら地獄、カルト宗教に入れば極楽とか天国っていうんですよね。

 

それを信者に納得できるように、人間の性にそって、納得されるように、教えを作っているから、だんだんとそまっちゃうし。

 

(この辺もまた書くかも。)

 

 

 

カルト宗教の特徴の一つがめっちゃあらわれているだけ、っていうのも考えられるけどね。

 

自分に依存させて、マインドコントロールをしようっていう見方もとれるしね。

 

健全な浄土真宗では、そんな依存させる話し方はしていないしね。

 

 

 

あとね、

 

親鸞会では、親鸞さんの教えと高森さんの教えをごっちゃにしているなって思う。

 

これは詳しくはいつか話すと思うけど。

 

ここ数年で、だいぶ整理したけど、まだ整理している最中。

 

高森さんからこれが浄土真宗だって聞いたけど、

 

全部間違っているとは思わないけど、

 

あきらかに高森流の要素がある。

 

高森流の考えが入っている部分がある。

 

しかも決定的なところが。

 

 

今日、書いたところは、

 

正直、教えの部分もあるので、なかなか結論がでてくるところではないし、

 

ある意味信仰だし、

 

あんまし書かなかったらよかったかな、

 

なんておもったけど。

 

リアルな理解をちょっとでも伝えてみた。

 

 

これをみて、

 

僕を勧誘しようって思う人はいないと思うけど、

 

もしそういう人がいたら、そんな人はお断りだからね。

 

その波動自体受けたくはないので。