僕と新たな人生と過去の痛み

S会という不健全な宗教団体で長年幹部として活動し、やめてからも心の痛みと向き合い、新たな人生への向うためのブログ。すこしでも共感してくれる人と年齢問わずにお友達になれたら嬉しいな。月数回の更新頻度。ツイッターもやっています。

人生は夢・幻と何度も聞かされ、生きる気力がなくなっていた自分

タイトルの通りなのですが、

 

人生は夢・幻と何度も聞かされ、そう思い込み、生きる気力がなくなっていた自分

 

に気付きました。

 

そして今もそう思っています。

 

どんなに努力していても、どんなに素敵なご縁に恵まれても、

 

すべて夢・幻と消えていくのではないだろうか、

 

という不安があります。

 

これが真理なのでは?って思ってしまいます。

 

S会の話で、僕が在籍していた10年間で数百回、自分の口からも数百回した話があります。

 

秀吉が「なにわのことも 夢のまた夢」といっている内容から、

 

蓮如さんの話になり、

 

心の支えは死んでいくときになんの支えにもならない、

 

という話です。(詳しいことは割愛します。)

 

秀吉のような成功者でさえ、人生は夢の中で夢をみていたように儚いと言っているのだから、

 

私たち凡人は彼ほど成功することはできないから、

 

夢の中の夢の中の夢の中の夢をみているのだ

 

というのです。

 

つまり、人生とは意味がないもの、一時的な幸福しかえられないもので、

 

死んでいくときには、夢をみていたような、幻のような儚いものでしかない

 

というのです。

 

正直なところ、今の僕はこれは真理だとおもっている節があります。

 

だからこそ、あらゆることがあまり楽しめていないのです。

 

 

先日、彼女と語りました。

 

デートしたことも、ふと振り返れば、夢・幻なのではないか、

 

と思ってしまいます。

 

短い期間だけ付き合っても意味ないのではいないか

 

と思ってしまいます。

 

虚無主義とでもいいましょうか。

 

むなしい、そんな気持ちになるのです。

 

 

これは、間違いなく、S会の話を聞いてからです。

 

それまでは、思ったことがありませんでした。

 

 

彼女は、僕の傷ついた心を真剣に癒したいって強く願っています。

 

これも一時的なのでしょうか。

 

もし、そうだったとしても、その願いが僕の心に届き、僕の心は癒され、これからの人生が豊かになることは間違いないです。

 

そしてきっと、彼女の性格を考えると、もし別れたとしても、

 

ふっとした瞬間に僕のことを思い出し、僕の幸せを願ってくれるでしょう。

 

 

こういうご縁に恵まれた僕はとても幸せだと思うのです。

 

大切におもってもらえるってすごくありがたいことです。

 

これも夢・幻って言われるのってどうなのかな?

 

って思います。

 

 

彼女のかけがえないのない気持ちを無下に扱われているような、

 

そして僕もそれを夢幻って思うと、

 

彼女の優しい想いを受け取れない、と感じます。

 

 

ただ、

 

だからとって、それが真理なのでは?

 

って不安は消えません。

 

 

この考え方を心の底で信じている限り、きっと、僕は「今」を楽しむことはできないし、

 

努力を真剣にできないのは確かでしょう。

 

楽しめないなら、きっと体に悪影響がでて、健康で長生きをすることも難しくなるでしょう。

 

実際にS会と関わってから、体の調子が悪くなりました。肩や首が痛い、みたいな感じです。

 

この考え方は、心にも体にもいいことはほぼないでしょう。

 

でも10年間、S会に在籍にしたことにより、そう思ってしまっている自分がいます。

 

 

人生は本当に夢・幻か、そうではないのか、

 

それはこれから僕が自分の人生を歩んでいく中でわかっていくことだと思います。