僕と新たな人生と過去の痛み

S会という不健全な宗教団体で長年幹部として活動し、やめてからも心の痛みと向き合い、新たな人生への向うためのブログ。すこしでも共感してくれる人と年齢問わずにお友達になれたら嬉しいな。月数回の更新頻度。ツイッターもやっています。

このブログをよりよくしようと思うといろんなことを感じる。

今日は5月18日です。

 

今はパワーが有り余っていて、別のやりたいことにブレーキがかかっているため、

今もっぱらやりたいことってこの親鸞会のブログなんですよね。

 

でね、このブログをすすめていこうとおもうと、

 

いろんな人の顔が思い浮かぶ。

 

あの親鸞学徒の友達はなんて思うのかな。。。

 

って。

 

僕が親鸞会を批判している人間って思うのかな。って。

彼らからすると、僕は悪い人にうつるのかなって。

 

そう思われると辛い。

 

僕のやっていることって意味ないやんって思われたらどうしよう。

 

「いいね」って言ってもらえたら嬉しいけど、

 

「意味ないやん」「そんなことをやっているって暇だね」って言われたらどうしようって不安になる。

 

彼等は実際に僕にいうかはわからない。

 

僕に思うかはわからない。

 

でも、そう思われたらどうしようって不安に思う。

 

ウジウジしている自分も情けない気がする。

 

進めない自分を責めたりもする。

 

あと、たまに親鸞会が人々を自分らしく生きることを妨げてしまって、僕がそれを癒やすって、親鸞会と僕は敵対しているのかなって思う。

 

敵対するのは嫌だ。

だからといって、彼等の集団に入ったり、彼等の思想にそまることは二度とできないが。

 

もし可能であれば、このブログを応援してくれる人がほしい。

 

本当に助かったと言われたい。

 

正直もっといいブログにできる。

でも、僕のやっていることは親鸞会を敵対視してやっているのではないか、と思うとあまり元気がでない。

 

親鸞会をやめた人間が書くブログは批判ブログって言って、切り捨てられるけど、

僕はわざわざその枠にはまる必要もないと思う。

 

僕も試行錯誤している。

 

僕ができること、やりたいことを提供しているだけ。

僕は自分の傷を癒やしたい、だから癒やすお手伝いをしてくれる友達ができたらいい、

と思っている。

また、僕は人の傷も癒やしたい。だから癒やすお手伝いをしたいからクライアントができたらいいと思っている。

 

でも、この僕のやっていることは、親鸞会からどう思われるか不安だ。

親鸞会の状態は悪いから、そんな状態の悪い人から何を思われていい、自分の信念を貫けばいい、

っていう風には少なくとも現時点ではならない。

 

ってなると、このブログをよりよくしようと思っても、潜在意識がブレーキをかけてしまう。で、エネルギーをもてあましている。

 

なんか「後生がわかっていないから、

どういきるかのことばかり問題にしているんだ。

それはとるにたらないことだ。」なんて批判されそうで怖い。

 

僕の大切な問題を、

僕を傷つけ、また人を傷つけていることを、

後生と比較してとるにたらないってバッサリきられるのは、

あまりにも冷たいと思うと同時に、

 

僕はわかっていないだけなのかな。。。

なんて未だに不安になる。

 

こんなにありのままの自分をかいて、

弱い部分をまるだししているのに、

クライアントができるのかなってことも思う。

 

でも着飾ってもしょうがないし。

着飾った状態でできたクライアントは僕もセッションをすることが辛くなるし。

それは今までの状態でよくわかっている。

 

結局は、ありのままの自分をだしつづけること。

 

話はかわるけど、今日、カウセリングを受けた。

「全力を出さなくてもいい。

助けなければと思わなくてもいい。

例えばしゃべるだけで。

例えば、過去も具体的にしゃべらず、一言いって、あとは今の自分の状態をみてもらって、それで周りの役にたっているって

実感できたらいいですね。」

だってさ〜。

 

そういえば、KRさん(カウンセラー)が言っていたな。

僕は自分の恐怖にむきあって、前進しているって。

その強さをしってほしい。

その強さにカウンセラーさんも元気をもらっているって。

いつも僕としゃべるとエネルギーをもらうって。

 

そうだよな、

こんな恐怖にむきあっているって大したものだよな。笑

ま、なかなか思えないけど。

 

でも最近、僕の周りは僕に優しい言葉をかけてくれる人が多くなった。

癒やしのエネルギーをかけてくれる人が多くなった。

僕の可能性を信じ、僕の将来を楽しみにしてくれる人が多くなった。

 

周りは確かに変わった。

ほんとうに彼等に支えられている。

 

だから僕もブログをすすめれる。

全然、とまってなんかいない。

今日は、グローバルメニューっていって、サイトの上のバーもいれれた。

ブログもすこしづつよくなっている。

 

数日前には、

僕のセッションがどんなものか、という視点で始めて記事もかけた。

今後もかけるだろう。

自分のセッションを語るって自慢かな〜

自慢しちゃだめだって勝手に思っていたけど、そんなことはない。

 

自分のセッションの内容を語らないと、

相手は僕のセッションがどんなものかわからないから、

自分にあうかどうかもわからない。

 

というか、こういうブログの書き方っていいのかな〜なんて思うときもある。

というのも、僕の弱みを出しまくっているし、

 

こういう風に考えていることをそのまま書いているし

 

セッションする立場としてどうかな〜なんて思う。

 

でもいいかぁ、それでも。

だってそれが僕だから。

僕のありのままをみてもらおう。

 

それで受けたい人だけ来てもらったらいい。

 

そして、また僕の成長もみてもらいたい。

今はこうやって、恐怖と向き合いながら頑張っているけど、

端からみればうじうじしているようで、自分でもそう思っちゃうけど、

 

でも、でも、

立ち向かっている。

恐怖と感じることをやっている。

これはすごいわ。

 

ちゃんとほめてやりたい。

 

そしてやがてはこの恐怖もなくなっていくのも、

以前の経験から知っている。

 

だからひたすら前向きなのだ。

 

前向きっていったら、

高森さんから前ってわかってないよね。

なんて言われそう。

 

そう思うだけで、頑張ろうとしているのに、

気力が減る。

なかなか親鸞会の言葉って、

高森さんの言葉って、

 

人の勇気を出さないよね。

人の勇気をくじくよね。

因果の道理にそっていないよね。

って言葉が多いと感じる。

 

何が因果の道理じゃ、ボケ。

ぜんぜんといてないやんけ。

 

なんて、ちょっと感情的にもなったりもする。

それもこうやって文章に書いたりもする。

 

親鸞会の痛みってまだあるな〜。

親鸞会の闇をいつかは自分の中から一掃したいな。

 

そして自分をいきたいな〜。

 

こんな風にちょっと新たなことに挑戦する度に、

いろんな親鸞会に関する心の葛藤がでてきてしんどいです。

 

ま、もがいています。

 

でも、進み続ければ答えはあるのだろうから、

今日も進み続けます。