僕と新たな人生と過去の痛み

S会という不健全な宗教団体で長年幹部として活動し、やめてからも心の痛みと向き合い、新たな人生への向うためのブログ。すこしでも共感してくれる人と年齢問わずにお友達になれたら嬉しいな。月数回の更新頻度。ツイッターもやっています。

親鸞会の講師のある嫌いな感覚。

5月23日です。

 

前回、親鸞会員としゃべった時にきいた言葉があります。

 

彼女は、親鸞会館にいく度に、

 

「よくここまで生き残ったね〜!」

 

と講師の人に言われるそうです。

 

この言葉を聞いたためか、僕はとてもしんどくなりました。

 

親鸞会館に来ている人は生き残ったってことは、やめた人は死んでいる。

 

つまり、自分は死んでいるのではないかな〜って感じてしまうからです。

 

本当にこの言葉は呪いの言葉です。

 

 

僕が学生時代、N講師にも言われたことがあります。

 

「僕達講師からすると、親鸞会をやめていった人は死んだのも同様だからね。」

 

って言われました。

 

 

僕は、影響を受けやすく、ものすごくこの言葉に縛られました。

 

今も縛られています。

 

親鸞会をやめたいまも、

 

僕は間違っていないかな?

 

なんて不安になります。

 

僕は死んでいるのかな?なんて自分で思ってすごく元気を失ってしまいます。

 

 

 

本当に呪いの言葉です。

 

きもいです。

 

 

はっきりいって、すごく冷たい言葉です。

 

親鸞会をやめた人も、そのあと、生きてます。

 

そういう人の人権を無視した言葉です。

 

というか、自分たちが正しいって思い込みすぎです。

 

ほんまに、何様やねん、って感じです。

 

マインドコントロールが深い人って、本音の部分をきくと、ほんまに気持ち悪い影響を受けてしまいます。

 

知らずに人を傷つけているのです。

 

 

これのどこが全人類を救う活動なのでしょうか?

 

いろんな人を傷つけているのに自覚がない。

 

目の前の人を傷つけ続けて、人類を救済するってちゃんちゃらおかしいです。

 

きもいです。

 

僕がしゃべった親鸞会員の友達はいい人なのですが、

 

親鸞会パラダイムを受けているため、しゃべっていてとてもしんどくなります。

 

僕は、彼女にそのことは伝えませんでしたが、

 

彼女は僕としゃべって、本当に喜んでいましたが、

 

僕はかなり深く傷付きました。

 

 

彼女にはそういうことの自覚はないのでしょうが。

 

今度いってもいいかもしれません。

 

僕が何に傷ついたのか。

 

 

ああー気持ち悪い。

 

ぼくは感情豊かなタイプで、HPS(超敏感な人)だから、言葉からものすごく影響をうけるんですよね。

 

だから、人を傷つける言葉をつかう人はマジできらい。

 

特に、親鸞会の講師とか、自分たちが正しいと長年思ってきているから、言葉にパワーがある。

 

その言葉はまじで呪い。

 

まじできもい。

 

 

この記事も書いていてしんどくなります。

 

こんな呪いの言葉なんか弾き飛ばしたいです。

 

というか、もっといい言葉にふれたい。

 

 

僕の可能性を伸ばし、

 

僕を肯定する言葉をきいて、

 

生きていたい。

 

こんなカスな言葉は聞きたくない。

 

そういえば、高森の言葉もきもい言葉が多い。

 

きもすぎる〜。

 

 

おえっ。

 

未だに深くとらわれてしまっている。

 

というか、自分の書いたブログだし、結構よみかえしたりするから、

 

このページをみるたびにネガティブな影響をうけるから、

 

このページを削除してもいいかもな〜なんてことも思います。

 

あまり、ネガティブな彼等の言葉を何度も読み返したくないしね。

 

ネガティブな影響を受けたくないしね。

 

 

まあ、今のところは残すつもりだけど。。

 

でも、はっきりいえることは、親鸞会にふれると、

 

心の状態が悪くなり、

 

僕が好きな世の中にふれると、心の状態がよくなること。

 

親鸞会のことにふれる理由は、彼等のことばに何が問題があったか、をあきらかにして、

 

以前無条件で受け入れてしまっていたのをブロックして、受け入れないようにするためだけど、

 

そもそも、この言葉に触れること自体がネガティブだから、

 

ネガティブな影響は受けちゃうっていうのも知っておかないとね。

 

はー。