僕がS会を選んだ様々な理由。
やめて数年が経ちます。
だんだんとなぜ自分がS会が入ったのか、時間がたつごとに少しづつわかってきました。
やめて1~2年くらいの間で思っていたことは、
①自己肯定感を与えてくれたり、居場所と感じたから
②因果の道理を聞けたから。
という理由でした。
まずは、①からですが、まずは聞き初めてのころ、
僕はよくS会の先輩や講師に褒めてもらうことがありました。
僕はほぼ褒めてもらった記憶がなく、
ずっと褒めてほしい、みとめてほしいと思って生きてきました。
しかも褒めてほしい、と誰かに素直に伝えたこともなかったのです。
正直、ほめてほしいって思いがあったというのも
当時はそれほど自覚することもありませんでした。
そんな友人にも家族にも褒められない、と思っていた僕に、
S会の講師は
「仏縁があるね」
「積極的だね」
とほめてくれるのです。
また、僕が病気になって部会に行けない時は、
元気になりますようにということで、
手紙やごはんをもってきて家に訪問してくれたことは、とても嬉しかったのを覚えています。
そんな風にS会に自分の居場所を見出したんですよね。
先輩たちは正直、変わった人達が多かったので、気があわないと感じる部分もありましたが、
真面目な性格という意味では共通点もあり、
少しづつなじんでいきました。
ちなみに、S会をやめてから、一度高校の同窓会に行ったときは、ものすごくほめられました。
というか、いろんな人が僕が参加したことを喜んでくれて、
自分は愛されていたんだなって気付いて涙ぐんだことがあります。
高校のころは、きつい言葉とかおちょくられることが多かったので、みんなから大事にされていることがわからかったんですよね。
②因果の道理を聞けたから
はい、これも初めて聞きました。
20歳までの僕は努力はするけど、努力が実を結ぶという成功体験がなかったのです。
中学受験、高校受験、大学受験と
一度も第一の志望校に合格したこともないですし、
部活もしましたが、特に華々しい何かを手にしたこともなかったのです。
ただ努力は部活や勉強でも人一倍したのは憶えていて、
努力はするけど実らないなっていつも思っていたところ、
「努力は実る」
と聞いたとき、真理を聞いた喜びや生きる元気をもらったことを覚えています。
今、振り返れば、やりたいくない大学受験などの受験をして、
父親の言われるがままやりたくもない大学の学部を受験したのですから、
当然努力しても、僕が満足する結果がでないのは当たり前なんですけどね。
あと親切すれば人から好かれるっていう布施の話もとても好きで、
今まで親切したのにそれを利用されるという経験しかなかった僕には、
本当に勇気づけられた言葉でした。
まあ、そんな感じで、人生の中における因果関係を知りたいなって思っていたので、
ちょうど心に入ってきたのを覚えています。
自因自果って言葉も聞いてとても嬉しかったです。
うちの両親は僕のせいにばかりする考え方だったので、すごく力強い言葉で嬉しかったです。
そういうようなことがやめて1~2年で振り返り、きづいたんですよね。
そして最近思うようになったのは、
③過去世と現在世との関係を知りたかった。
なんです。
実はS会にいた20歳くらいのときは、なんでこの両親のもとに生まれてきたのだろうって
ほぼ考えてなかったのですが、
28歳から自分と向き合うようになり、
特にここ1-2年の間では、
「なぜこの両親のもとに生まれて来たのか。
自分の可能性をつぶされてしまう相性の悪い両親のもとになぜうまれたのか。」
と強く思っていたのです。
S会ではきっと、過去、両親と縁があったから、今生もご縁がある、
とかそういった類の説明だったと思います。
今、僕があるスピリチュアルの話を聞いて、なるほどなって理解しているのは、
生まれる前にその両親を選び、地球上でやりたいことをするための準備をしようと思ってたっていう解釈です。
なんでこんなに苦労しなきゃいけなかったのかというと、
そんなに苦労したからこそ、同じような苦しんいる人達の気持ちがわかるし、
適切な手助けができるようになるからなんじゃないかな~
って思うんです。
S会では自分で両親を選んだっていう説明はなかったですよね。
なんでその両親のもとに生まれたのかは、過去世に原因があるって言っていました。
いい両親に生まれたのはいいことしてきたから、自分にとって悪い両親に生まれたのは悪いことしてきたから、
的なニュアンスでしたね。
あんまり前むきとは言い難いな~なんて思います。
まあ、そんな思想だった僕も、今は、
生まれる前に自分の人生で経験したいことをあらかじめ考えて、
そのために必要な両親を選んだっていう考えのほうが、
なんか前向きで好きだなって思うわけです。
他にもS会を選んだ理由、思いついたら書きたいなって思います。
では~