僕と新たな人生と過去の痛み

S会という不健全な宗教団体で長年幹部として活動し、やめてからも心の痛みと向き合い、新たな人生への向うためのブログ。すこしでも共感してくれる人と年齢問わずにお友達になれたら嬉しいな。月数回の更新頻度。ツイッターもやっています。

親から見捨てられたと感じていること

親から見捨てられているって、大学一年のころは思わなかったな。

 

でも、親鸞会をやめてから感じるようになった。

 

そういえば、親をとるか、親鸞会をとるか、

 

とか考えたことがあったな。

 

 

親鸞会では、

 

高森さん一人のことを信頼しろ

 

っていうメッセージがあったけど、

 

それを大学二年の僕がきいたときに、

 

親か親鸞会の二択をしろ

 

って言われているように感じていた。

 

先輩に相談したら、

 

そういう意味じゃないっていわれたけど。

 

 

もちろん、後生のために

 

ってことなんだろうけど。

 

 

僕にとっては、親の意見と、親鸞会の意見は違うから、

 

どちらをとるかっていう感じだった。

 

両方たてるっていう考え方はなかったな。

 

 

実際、高森さんの本を読んでいたら、

 

断食してでも親に仏法を聞くようにすすめろ

 

 

親は仏法のことがわかっていないから

 

 

っていう文章を何度も読んで、

 

そう思うようになった気がする。

 

 

それで、

 

親は間違っている。

 

後生を知らないって思った。

 

 

だから、親の意見はきかないってなった。

 

で、高森さんの意見に従順になった。

 

 

それが悲劇かな。

 

 

で、僕にとって、親とのつながりと、親のいうことをきく

 

というのは同じ意味だった。

 

つまり、僕のいうことは間違いってして、

 

親のいうことを無視したら、

 

おやとのつながりもきれちゃった

 

って感じ。

 

 

それで親とのつながりを感じれなくなったんだな。

 

 

きっと親のいうことを聞かなくても愛されているってなっていたら、

 

こういうことにはならなかったけど、

 

そうなっていなかったからなのかな。

 

 

だから親から見捨てられているように感じているのかな。

 

実際に、父親に勘当だ、

 

とか

 

家に帰ってくるな

 

っていう対応をされて、

 

 

親子の絆が切れてしまったようにも感じた。

 

 

今も書いていて辛い。

 

 

だからそんなふうに感じて、

 

安全地帯がないように思って、

 

毎日苦しくなったのかな。

 

 

 

親鸞会と親と僕の課題がすべて重なって、

 

僕は親から見捨てられたと感じ、

 

強烈な孤独感を感じているんだな。

 

 

でも、親は僕を愛している、

 

って最近いってくれるようになった。

 

でも素直に受け取れない。

 

傷が残っているから。

 

親との間でできた傷もしっかりと癒やす必要がある。

 

 

回復にはまだまだ時間がかかるね。

 

 

大変だ〜

 

 

社会で輝くには、

 

まだまだ癒やす必要があるな〜

 

 

 

ああ、しんどい