僕と新たな人生と過去の痛み

S会という不健全な宗教団体で長年幹部として活動し、やめてからも心の痛みと向き合い、新たな人生への向うためのブログ。すこしでも共感してくれる人と年齢問わずにお友達になれたら嬉しいな。月数回の更新頻度。ツイッターもやっています。

電話を必ずでなきゃいけない、という感覚について少し思い出してみました。

S会に入って、真面目な人ほど、親鸞会独自の感覚が入ってきて、

それで苦しむということがあると思います。

 

特に僕は真面目ですし、場の空気感を感じ取って、自分のものとして吸収するので、

親鸞会の人達のもつ感覚を沢山吸収してしまい、

今はそれを抜くのに苦労をしています。

 

その一つが、

「電話には最優先ででなきゃいけない」

みたいな感覚。

 

S会の上司からかかってきたら、プライベートな時間でも、

何をしていても、それを途中でやめて最優先で電話にでる

ってことを教育されたような気がします。

 

それが今も残っていて、S会とは何の関係もない人から連絡きても、

無理して今やっていることをやめて電話にでたりとか、

運転しているから電話にでたくないなと思っても、運転しながらでなきゃいけないとか思っていしまうんですよね。

 

それを通じて過去どんなことがあったのか、思い出してみました。

 

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あれは大学4年生の時かな、僕は講師と二人で車で移動していた。

どこかに遠くにいって、部室に戻る最中だったと思う。

あと2分走らせたら、部室に戻れるくらいのタイミングで講師の携帯に電話がかかってきたんだよね。

 

講師は車を運転していたんだけど、そのままでるんだよね。

 

 

「はい、はい」と緊張感のある感じで返事をして、

「申し訳ありません。」と謝罪をしている。

 

講師よりも偉いと言われている講師長から電話がかかってきたんだよね。

 

どんな内容で謝罪しているのかはわからないけど、

きっとそんなに恐縮して謝らなくてもいいことなんだろうな~

って今なら思う。

 

それから、住宅地だったんだけど、車を道路の端にとめて、

講師長と話をしている。

 

最優先で講師長の電話に対応するんだよね。

 

もちろん、僕と講師はそれまで話をしていたんだけど、

僕と話をしていたのに、ごめんとも言わずに講師の電話が最優先っていうのも、

なんか残念。

 

そんな風に、上司第一主義というか、

上司から電話があったら、車を運転していてもすぐに対応しなきゃいけないし、

 

あと1分で部室だから、部室に戻ってからかけなおしたらいいのにしない。

 

そして上司にはいつもぺこぺこしたり、

緊張感をもって関わらないといけない。

 

そういうことをみてきてしまったんだよね。

 

上司から電話があったらすぐに折り返しましょう、

という支部長もいたなぁ。

 

僕は彼らの感覚って正直好きじゃないんだよね。

でも若い時にそれしか知らなかったら完全に吸収しちゃったんだよね。

 

S会と関わっていると、

プライベートを楽しむと感覚もなかったし、

電話がきたらすぐに対応しなきゃってずっと思っていた。

 

そういう緊張感が今も残っている。

 

そういうのを抜いてリラックスしたい。

電話はでてもでなくてもいい、ぐらいの感覚にしたい。

友達との電話は楽しみたい。

 

普通のことなんだけど、僕はその普通がほしいだよね。