ツイッターを最近して感じていることと僕の共感能力について。
どうもです。今年の7月からツイッターをしているのですが、
ツイッターは僕には合っていました。
いいねとかの反応をもらえたりとか、
気軽に書けたりとか、
よかったです。
なのでこちらのブログでも紹介しておきますね。
はい、でツイッターをやっていると、親鸞会の人にみられていないかな〜
なんてビクビクしています。
報告されていないかな〜なんて思います。
親鸞会は、とても監視の目を光らせていて、
ちょっとでも批判的なことがあれば、上司に報告しろと下の人間に指導します。
だから、僕の文章やツイッターも、人に伝わるとそのうち報告されるのではないかな〜って思って怖いです。
すでに報告されているのかも。
僕は報告されているときの場面を勝手に想像してしまいます。
ある人「親鸞会批判の文章がありました。」
上司「お〜、これか、これは危ないな〜。」
みたいな。
そこで上司はさらに上司に報告して、みたいな。
それで全体の会合の中で、
「こういう話がネット上であがっているが、気にしないように。
すべてデマであり、嘘です。」
そんなことを過去の経験から想像しちゃって、
彼らの恐怖とか否定といったエネルギーや感情を感じてしまうんですね。
これがしんどいんですね。
ところで、僕は共感能力がとても高めの人間なんですね。
そうでない人と比べると他人と自分の感情の境界線がよりないんですね。
そうでない人は、「それは相手が思っていることで自分が思っていることではないよね」
って切り分けれたりすると思うのですが、
僕は、人が思っていることをリアルに感じ取って、まるでそれが自分の感情かのように錯覚したりするのですが、
だからこそ、親鸞会の波動を想像しちゃうだけでしんどくなっちゃうのです。
僕のこの書いている記事を彼らは
「批判文章だ〜」「恐ろしい文章だ〜」
なんて言っているのではないだろうか
と感じるだけで、
実際に僕も批判文章だ〜、恐ろしいものを書いている〜
って思っちゃたり、自分の行為を自分を否定しちゃったりしています。
人の感覚を自分のものにしやすいんですね。
まあ、そんな共感能力が高く、人の感情を自分の感情のようにもらうタイプなので、
親鸞会の内部に入って、活動して、多くの影響を受けてしまったんだろうな〜
と思っています。
だからこそ、ブログを書いて、当時親鸞会の人達から貰ってしまって、今も持っている感情はなにか
っていうのを整理しているんですね。
それで、この感情は親鸞会からもらったものなので、お別れをしよう
と思ってお別れしていって、
自分らしさを取り戻しています。
今後もこの活動は続けたいと思います。