僕と新たな人生と過去の痛み

S会という不健全な宗教団体で長年幹部として活動し、やめてからも心の痛みと向き合い、新たな人生への向うためのブログ。すこしでも共感してくれる人と年齢問わずにお友達になれたら嬉しいな。月数回の更新頻度。ツイッターもやっています。

たまたま目にしたブログを読んで。

こんな記事を読んだ。

 

oneofakind.hatenablog.com

 

正直、僕の中では勝手に引用していいのだろうか、

 

って感じてしまう。

 

自分のネガティブなブログに健全な人のブログを引用していいのだろうかって思ってしまう。

 

でも、いい。

 

これをきっかけに世の中の健全な感覚を取り入れたいから。

 

自分のネガティブなブログっていう感覚もなくしたい。

 

ポジティブなブログって思いたい。

 

ま、親鸞会のことを話題にすること自体がネガティブな感じがするから。

 

親鸞会は僕の中で「闇」の感覚だから。

 

 

そしてその闇が未だに僕の中に残っている。

 

その親鸞会の闇を消したいって感じている。

 

 

話はこのブログに戻るが、

 

性的な被害をうけている友達のことをホストファミリーのママが守ったって話。

 

それを聞いて、僕は大学時代に守ってもらえなかったな〜って思う。

 

親にまもってほしかった。

 

親に一度相談したけど正直たよりにならなかったな。それ以降は相談しなくなった。

 

今思い出しても当時の親に腹がたつ。

 

あんな頼りにならない親に自分はなりたくない。

 

 

親鸞会にはまる人は、相談が苦手な人であったり、

 

家族との信頼関係が薄れている人が多いのかなっていうのも感じる。

 

 

社会を知らない学生をターゲットに洗脳していく親鸞会のやりかたは卑怯だと思う。

 

まだまだ何が卑怯だったのか、言葉にできていないことも多い。

 

そして、いまはまだ犯罪にはなっていないが、これは犯罪なんじゃないか。って思う。

 

 

僕は親元を離れて、頼れる人がいなかった。

 

友達もできなかった。

 

そんな孤独の中で親鸞会の人に声をかけられた。

 

親しくされて嬉しかった。

 

最初は危険だなって警戒したけど、回を重ねる事に、

 

だんだんとその異様な雰囲気にもなれていった。

 

 

そして、上司の名の元に、理不尽なことを沢山つきつけられた。

 

 

 

学業にも専念できなくなった。(最初から興味のないことだったので、親鸞会に夢中になったのはある意味逃げでもあった。)

 

将来のことも考えれなくなった。

 

恋愛もできなかった。

 

失ったものは、今思っても大きい。

 

最近は前をむいて、ようやくうごきだしたけど、

 

たまにつらくてとまりそう。

 

 

 

 

まずは、力のよわかった当時の自分を守ってあげたい。

 

当時の辛かった感情を大切にしてあげたい。

 

そして今の自分も大事にしたい。

 

 

力の弱い人はちゃんとまもってあげたい。

 

そしてボクはそんな卑怯なことを誰かにしないように、

 

親鸞会からされた卑怯なことをちゃんと自分の中から完了させたい。

 

のこっていると、誰かにやっちゃうからね。

 

卑怯な人間にはなりたくない。

 

 

まだまだ、時間はかかる。

 

健全な感覚に戻すのに時間はかかる。

 

でも一歩ずつ進んでいる。