僕と新たな人生と過去の痛み

S会という不健全な宗教団体で長年幹部として活動し、やめてからも心の痛みと向き合い、新たな人生への向うためのブログ。すこしでも共感してくれる人と年齢問わずにお友達になれたら嬉しいな。月数回の更新頻度。ツイッターもやっています。

配慮という名の卑怯、親鸞会の内側にしか通用しない独自の理論

今日は5月23日です。

 

今日は3記事目かな。

 

因果の道理をとても推進し、また学院でも言い訳するな、誠実であれ、等部下には厳しくいう団体ですが、

 

実際に言っていることと、やっていることが違います。

 

普通の健全な大人であれば、その内側がみえると、きっとびっくりしてしまうでしょう。

 

なので、内側をみせずに外側だけをよくしている団体といえるでしょう。

 

 

では、いきます。

 

まず、布教においては、

 

「配慮」という名の「卑怯な騙し」が横行しています。

 

僕が学生時代は、

 

はじめての声掛けでは、

 

『「なんのために大学にきて、なんのために仕事をしていきていくのか、」

 

ついて考えているサークルです。一度お話をきいてみませんか?』

 

とか言われます。

 

洗脳されてたといえ、自分がやっていたとなると、かなり凹みます。

 

話を戻しますが、

 

まずですね、宗教団体なのに、サークルっていっちゃっているところです。

 

これが騙しですよね。

 

で、さらに、みんなで考える、議論をかわそうよ、

 

的に言っているますが、

 

実際に、高森会流の親鸞さんの教えを

 

ただ一方的にいれこむ感じです。

 

で、これも違いますよね。

 

 

で、だんだんと、数ヶ月かけて、正体を徐々に伝えていきます。

 

宗教問題の本にも、

 

W講師が言っていましたが、これは「配慮」だそうです。

 

僕も学生の責任者のKさんから何度も聞かされました。

 

深い、高森流解釈の親鸞さんの教えは、学生にいってもわからないだろうから、

 

最初から団体名をあかさずにするのだそうです。

 

 

でも、これって、

 

ただの「騙し」ですよね。

 

内部では、「配慮」と言っていますが、

 

外側からみたらただの騙しです。

 

最初から目的を明確にいえよ。

 

って思います。

 

 

団体名だけじゃなくて、

 

「後生を幸せにするためにやっています。」

 

とか、一番の目的をいえよ、

 

って思います。

 

それだったら、後生が今、気になる人だけがくると思います。

 

 

 

 

最近では、

 

様々な講師が、心理学などを利用して、講座を開くようになりました。

 

一般の学徒の方も開かれています。

 

んで、そっから、親鸞会の案内なんですよね。

 

これも騙しですよね。

 

最初から宗教っていえよって思います。

 

宗教ってことを知らせるころには、

 

ある程度周りの人と仲良くなっていたりして、情がありますから、

 

やめにくい状況が作られていたりします。

 

 

これも彼ら等の理論では、「配慮」だそうです。

 

確かに、大学にくらべると、彼等のその行為が社会的に問題にはされにくいでしょう。

 

でも結局は、騙しをしている訳ですから、

 

問題になってやがては活動できなくなるのは、

 

目にみえてあきらかです。

 

しかも、手伝っている学徒は純粋な気持ちでやっているから、これもまたかわいそうです。

 

 

ネットワークビジネスでもそういうところがあります。

 

ただ彼等はあって二回目くらいには、正体をいうので、まだ親鸞会に比べるとまだましなのかな〜って思います。

 

やり方は人それぞれですが。

 

 

勧誘目的に人に近づくなら、最初からいえよって思います。

 

そんな正体を隠して人に近づくって卑怯だな〜

 

なんて思います。

 

 

ってことで、卑怯な騙しを彼等は、配慮といいます。

 

騙されている側の立場にたったらわかりますが、普通に腹のたつ話です。

 

迷惑ですし、なんて自分勝手なんだって思います。

 

それでいて、自分たちは、正しい、世の中の人はわかっていないと見下すわけですね

 

ほんまにアホです。

 

社会を否定したら、社会から否定されるのは当たり前です。

 

因果の道理ですよ。

 

 

なので、親鸞会は、善や因果の道理をやかましくいいますが、

 

実際には、因果の道理を実践していない団体なんでよね。