無理をする癖
僕は今、とても無理をする癖が残っていて、ひとつずつ、みつけたら丁寧に減らしています。
親鸞会で真面目?に活動して、高森さんの指示、上司の指示に従っていると、いやなことでも「はいやります。」と従わなきゃいけないので、どんどん無理をする傾向になります。
自分の心が望んいないことでもやります、と言い続けるので、自分がのぞんでいるか、のぞんいないか、を気にしなくなるし、
そのまま自由な世の中にでると、イヤなことでもなぜかやってしまう、っていう自分っていうのにイヤというほど出会わなければなりません。
今日(4/24)は、新しいカウンセラーに話をきいてもらっていました。
僕がカウセリングを受けている目的は、親鸞会の傷を癒やしたり、安全地帯になってくれるよな方を探すことです。
今は継続して受けているAさんという方がいるのですが、より癒やしを加速するため、もう数人自分にあうカウンセラーを探そうと思ったのです。
そうそう、カウセリングは、カウンセラーとの相性がとても大事なので、相性のよい方を探すのにエネルギーを使います。みつかれば継続するので、ある意味、みつけるまでは大変なのです。
でもあまりにも大変だと人間やる気をうしなっちゃうんですよね。僕は今まで50人以上の方にカウセリングを受けてきましたが、一番最初は大変な思いでした。
そこで、ここ数ヶ月は新しいカウンセラーを探していないかったのです。で最近また探すパワーもついてきたので探そうと思ったのです。
で、今回、僕は思いました。
僕は何を大変だと感じているのだろうって。
僕は一回目で本題である親鸞会の話をしようと思っていました。
なぜなら、本題に入らないと、相手が対応してくだされるかどうかがわからないからです。
でも新しい人がどんな人なのか情報は全く入りません。
いくらプロとはいえ、始めての人に親鸞会の話、しかも痛みの話をするのは、否定されたら怖いなって思ったのです。(実際否定されることは滅多にないですが。)
それで大変さをかんじていました。
僕は親鸞会の話って、正直あまり人に聞かせたくないです。なぜなら、暗い話だからです。どうせなら明るい話をして人を喜ばせたいと思います。
でも、心の傷を癒やすためにはどうしても人に暗い話をしなければならないのです。
相手のことを考えたらこれもなかなかつらい。
あと、怪しいって思われるのはやっぱり怖い。
へんな新興宗教に入っていたのじゃないかって、
怖い人、怪しい人って思われるのはやっぱり辛い。
健全な人、明るい人、優しい人って思われたい。
そう考えると、
親鸞会に入っていた、とか
宗教に入っていた
って人に伝えるって辛いんですね。
しかもまだ信頼関係が築けていない一回目の人に。
ってことを考えていたら無理している自分に気付いたのです。
「いつも全力で頑張らなければ」って思い込んでいました。
親鸞会では本当に全力で頑張りました。
特に何かリターンはなかったのですが、学業も家族もお金も恋もあらゆることを犠牲にして頑張っていました。
あ、そのくせがまだ残っているなって今日思ったんです。
「親鸞会の心の傷を一回目に話さなければならない」って。
それに気付くと、
で、別に一回目の人に無理して伝えなくてええやん。
気軽に話したらええやん。
また無理していること自体をカウンセラーに聞いてもらおうって思ったのです。
で、今日は、
カウンセラーの方に
どうしても話したくない話までしなければならない
って思っているのです、
っていうところから相談しました。
それで、
今日は親鸞会に入っていた、
ということは話さず、
親のこととか、
話しやすい内容とかをしゃべっていました。
相手も楽しんでくれて、
今日は無理して親鸞会の話をしないって
観点では楽に話ができたのかなって思いました。
この調子で新しい人に、
無理せずにお話していきたいと思います。
そうやって、
僕は少しづつ親鸞会の傷を癒やしています。