僕と新たな人生と過去の痛み

S会という不健全な宗教団体で長年幹部として活動し、やめてからも心の痛みと向き合い、新たな人生への向うためのブログ。すこしでも共感してくれる人と年齢問わずにお友達になれたら嬉しいな。月数回の更新頻度。ツイッターもやっています。

人の目を気にして、自分のこころを大切にできていなかったな〜。

最初アクセス数が1だったのですが、1週間もたたない内に、アクセス数が20

くらいになっていました。

 

ま、客観的にみたら少ないのでしょうが。。

 

僕はちょーこわい。

 

誰がみているんだろうって思う。

どんな人がコメントされるのだろうって思う。

批判的なコメントはいやだな〜。

 

講師がみていたらどうおもうかな〜。

自分と仲良かった人とか、縁のあった方がみたらどうおもうかな〜。

 

人の目がきになる。

 

そして否定的な見方をされることが怖い。

 

 

学生時代から、

自分は役職があるし、他の人よりがんばらなきゃ〜って思ってお布施を沢山してきた。

 

周りの目をきにして、毎月参詣してきた。

 

周りの目をきにして、いろんな係をしてきた。

 

当時は自分の心をみれなかった。

 

むしろ、やりたくないって思いは煩悩だからといって、

自分の思いを否定してきた。

 

人の目をきにしなさい、と講師にいわれた。

 

人の目をきにすれば、サボれない、

そうやって煩悩と戦え、と言われた。

 

そして、真面目な僕は、

それにしたがった。

 

すると、どんどん人の目を気にするようになった。

 

昔から人の目を気にする癖があったが、

親鸞会とかかわってそれがどんどん加速した。

 

自分のやりたいとか、

やりたくない

って心を無視した。

 

どんどん自分じゃなくなっていった。

 

聴聞もいつも頭痛だけで話がまったくはいらなかった。

そんな自分ではダメだと責めて、

 

先輩で頭のいい人から聴聞の復習をしてもらい、

そこで覚えて、

いろんな後輩に話したな。

 

でも身体は全力で、

高森さんの話を聞きたくないって拒否していた。

 

僕はそういう自分を否定し、

必死でききたくない話を覚えようとして、

覚えれない、聞けない自分を否定し、

また人に話そうとした。

 

後輩の手前ちゃんと話せるようにならないと、

っていう名誉欲を利用して、

 

全然ききたくない高森さんの話を

後輩につたえるために理解につとめた。

 

自分の

やりたくない、ききたくない

 

って気持ちは置き去りだったな〜。

 

感情できくな、

と先輩に怒られたことがあったな。

 

 

説法では人間の心は不実の心というから、

話を聞きたくないって心は、僕は不実な心だと思って、

大切にあつかわなかったな〜。

 

高森さんの話をぜひききたい

って心の底から思ったことって一度もなかったな〜。

 

高森さんの話って「くらいな〜。」

って思う。

 

因果の道理ももっと明るく説明できるのにとても暗い。

 

人生をくらくみている人の話しかただな〜って感じる。

 

聞いて心が元気になることは多分一度もなかった。

 

でも長い間、数回休んだだけで、あとは参加し続けた。

 

きっと自分がわからないからって思っていた。

仏縁が浅いからだって思っていた。

 

徐々にそういう風に思うようになった。

 

 

 

こうやって、毎日親鸞会での日々を思い出しています。

 

やめた後は、まるで、

竜宮城にでもいた気分でした。

 

世の中が進んでいて、自分だけがとりこされた気分。

 

今もまだその気分ですが、やめたあとは特につよかったな〜。

 

自分の人生に空白の時間が流れていたよう。

 

親しい人に親鸞会での学生時代何があった?

と聞かれて、

いつも何も覚えていないっていっていました。

 

それはあまりにもショックなことが多すぎて、

記憶を消していたんですね。

 

今はその記憶をひとつひとつ紐解いていっています。

 

自分はどう感じていたのか、

 

ってとても知りたいのです。

 

それを感じ尽くした時にきっと親鸞会とは、

本当のお別れができると思っています。

 

一度お別れはしました。

でもまだ心に残っています。

親鸞会時代の傷は残っています。

 

それはね、全部癒やしたい。

だって、癒やさないと、

傷が残っているままだと、だれかを傷つけるかもしれないから。

 

高森さんや講師に支配されていたけど、

支配された痛みが残っていたら、

僕は仕返しとして、無自覚でまったく別の人を支配するかもしれない。

悪気なく人を支配するかもしれない。

 

親しい人にきいたら僕はそんなことは絶対しないと思うよって言ってくれている。

でもちょっとでもそんな可能性があるのはいやだなって思っている。

 

だから、支配された痛みを癒やしたい。

そうおもって、ブログを書いています。

当時の気持ちに向き合っています。

 

同じようの傷をかかえた方はお互いにぜひ癒やし合いましょう。