僕と新たな人生と過去の痛み

S会という不健全な宗教団体で長年幹部として活動し、やめてからも心の痛みと向き合い、新たな人生への向うためのブログ。すこしでも共感してくれる人と年齢問わずにお友達になれたら嬉しいな。月数回の更新頻度。ツイッターもやっています。

おつとめを毎日することについて。

おつとめを毎日することについて。

 

おつとめをしない人は親鸞学徒ではない、

って高森さんからよくきいたな。

他の激しめの講師からもきいたな。

 

あれは傷ついたな〜。

 

僕はその当時傷をもっていたけどみないようにしていたな〜。

 

めっちゃ学徒としての活動を頑張っていても、

法施もして、

財施もして

やっていても認めてもらえない感じがした。

 

認めてもらうためにもっとがんばらなきゃって思った。

だから僕は自分を頑張っていないと思っていた。

いろんなものをものすごく犠牲にしていて、頑張っていないって自分にいうのって本当につらすぎるね。

 

これってマインドコントロールの仕方の一種なんだろうなって思う。

信仰心が深くめっちゃ頑張っている人達に頑張っていない、という。

するともっとがんばらなきゃって思う。

元気な時はポジティブにとらえようと努力する。

目標をしめしてくれているんだなっって。

 

でもね、目標を示されている時点で依存しているし、

目標は自分がワクワクするものを自分の心に従ってつくるもの。

 

もともと依存しやすい人だったけど、

まさに依存させられたな〜って。

いつもできていないって自分を責めていたな〜。

 

いつも学徒として不十分、

当時の自分としては人間として不十分、

だとおもっていた。

 

学徒であることと、人間であることが同じだったから。

 

こうやって文章書いている怖い。

なんか攻撃されそう。

僕の文体から誰か特定されたら怖い。

怖すぎる。

 

話を戻して、

僕は人間関係構築は得意だけど、

毎日同じおつとめという行為は苦手

 

ストレスしかたまらない。

だけど頑張ってやっていた。

できなかったら自分でせめた。

おつとめ表を毎日つけた。

 

できてもほめなかった。

福井県の施設でもそうだが、

ほめない人がおおい。

否定する人がおおかった。

 

その癖が僕もうつった。

自分のことを否定してばかり。

それで成長するとおもった。

自分を否定して成長させようと。

でも逆に、自己肯定感がさがった。

 

否定して奮起して頑張れるのは一時的。

否定するほど、負の感情はあらわれた。

 

周りの人にはできるだけほめようと頑張った。

 

僕は今も自分は我慢して人に与えるということを

よくやるけど、

このあたりから習慣化したんだな〜って思う。

 

自分を否定するけど、

周りを肯定するみたいな。

 

これってしんどいな〜。

 

あと、毎日のおつとめってそんなに必要かな。

ちなみに今は僕は無宗教になろうとつとめている。

 

蓮如さんがおつとめをすすめたらしいけど、

情報が当時はすくなかったから。

蓮如さんの手紙とか、親鸞さんの正信偈をよむ

といいとのことだったんじゃないかな。

今の時代にはミスマッチな気がする。

なんで今もかたくなにそれをまもり続けているのだろう。

 

親鸞会を離れるかどうかは毎日のおつとめをしているかどうかだーって言われていた。

親鸞会を離れることが地獄におちることだと思っていたから、

毎日おつとめをできているかどうか、はマジで恐怖だったな〜。

 

朝おきる時に恐怖でおきていたな〜。

あれはほんま健康にわるいな。

 

未だに恐怖でおきる癖はのこっている。

すこしずつ減らしている途中。

 

文章にまとまりがないのは、

感情メインで書いているから。

それはご了承くださいね。