実質的には親鸞会は因果の道理と反対のことをしている。
仏教の根幹は因果道理とか、
本願寺は、親鸞さんの教えには善のすすめがないがそれは間違いだ、
と高森さんはめちゃめちゃ善のすすめを言っていますが、
当の本人や親鸞会には、因果の道理や善のすすめがまったくありません。
もしあるとするならば、
善とは、高森さんや親鸞会に都合のよいことという定義であって、
世の中からみた場合の一般的な意味での善はほとんどなされていません。
親鸞会では口だけでは、善を実行しろ、とは言われます。
たとえば、学院では約束は絶対に守れとうるさく言われます。
これも実は、約束を守らせることが、上司や高森さんに都合がよいだけであったりします。
講師や本会の人が約束をまもっていないということで上司に詰められているところは何度もみました。
たとえば、納金の遅れとか、作業の遅れとか、等です。
また、高森さんは光にむかっての中に、
一度した約束は首がちぎれても守るべきものだ、
といっています。
ところがです。
高森さんは、説法の際に、
「今日は時間はなかった。次回は◯◯について話す。」
と言っていますが、
ほとんど守ったためしがありません。
次回、まったく違うことを話すことばかりですし、違うことを話すことに謝罪もありません。きっとテキトーに約束をし、忘れているのでしょう。
高森さんの話が遅いから、質問にも最後までちゃんと答えれてないから、次回話すのかな、
って思って期待したけど何度その期待を裏切られたかわかりません。
自分が光にむかってに書いた言葉を、彼はどんな風に思っているのでしょう。
一度尋ねてみたいものです。
まあ、当時の僕は言っていることとやっていることが違うな〜と思いつつも、
でも約束を守れと全力でいっているから、きっと深い御心があるに違いない、と
自分で自分を説得していました。
でもね、あんな、数千人の前で約束しても平気で破るのですから、
きっと小さい約束は沢山やぶっているでしょう。
近くにいる人はそれを何度となくみているでしょう。
さらに、側近の幹部は、
きっと、高森さんに約束を破れても、
「深い御心があったにちがいない。」
とか
「お忙しいからだ。」
といって、高森さんをそれ以上追求していないでしょう。
追求したら不都合な目にあうでしょうし。
そういえば、僕が学生のころも、
講師に普通の連絡をしても、無視されたことが何度もありました。
だけど、講師は僕に早く返信しろ、電話に着信があったらかけなおせ、
と強く要求するのです。
それを先輩に相談すると、
「講師はお忙しいからだ。」
とか言われたことがあります。
上司は悪いことをやっていても、
約束を破っても、平気ですし、
周りの側近は、それは仕方のないことだ、といって美化します。
これって全然対等じゃないですし、
上は何をやってもよくて、下はちょっとしたことでも詰められるっていう構造になっています。
これはどう考えても、善を実行しているとは到底思えません。
ま、これは約束を守るという観点で話ましたが、
他にも沢山、親鸞会や高森さんの卑怯なところ、
距離が遠くても、沢山ボロがでていました。
また徐々に書いていきたいと思います。
ってことを考えると、
よく下の立場の人や本願寺に善をしろよ〜って強くいえるな〜と思います。
自分のことは一切振り返らずに、ただ周りの人を批判する。
普通の人間だったら、そういうことってできないと思うけど、かなり異常ですよね。
高森さんはただ思いつきでその場限りでしゃべっているのかな〜。
そんな人を、周りの講師は、素晴らしい人、高森さんのやることに間違いはない。
とか言っているのかな。
って考えたら、
高森さんも、高森さんの側近も、
かなり頭がおかしい状態になっていますよね。
自分の都合のいいことばかりその場かぎりでしゃべっているんですよね。
因果の道理が、仏教の根幹といいながら、
因果の道理を実行していない人達の集団が親鸞会だな〜
って思います。
善因善果が大事と高森さんは言っているから、
やっているのかな〜
と思ったら、
全然やっている風にはみえない。
親鸞会の講師も、上層部にいけばいくほど、善をやっている風にはみえない。
なんやろ。。。。
このアホさは。
ま、僕は被害を受けまくったら、マジで傷ついたけど。
こうやって、客観的にみたら、
ほんまにアホすぎてびっくりする。