僕と新たな人生と過去の痛み

S会という不健全な宗教団体で長年幹部として活動し、やめてからも心の痛みと向き合い、新たな人生への向うためのブログ。すこしでも共感してくれる人と年齢問わずにお友達になれたら嬉しいな。月数回の更新頻度。ツイッターもやっています。

おかあさんにこのブログのファンだと言ってもらえてうれしかった!

自分らしくいきていこうと決意してから、

どんどん素直になって、

どんどん子供っぽくなっていくのを感じます。笑

 

お母さんにはこのブログを作った時に紹介していて、

それから毎日読んでくれているようです。

 

そんなお母さんに、

ブログのファンだと言われるととてもうれしいです。

 

どのあたりがよかったのかな。

 

また具体的に感想を教えてね。

 

そういえば、福井県の施設にいったとき、

『「おかあさん」といわずに「母」といいなさい。』

とかいわれたな〜。

 

それから僕は母と人前ではいうようになりました。

 

確かに一般常識ではそうかもね。

 

でも、お母さんのほうがしっくりくる。

だからこれからもお母さん、って言おうかな。

 

自分のことを「僕」っていう言い方も注意されたな。

 

「私といいなさい」

 

僕は納得いかなかったので、

自分の呼び方って自由やん♪って思っていたから、

ずっと僕って言っていたら、

何回も注意されました。

 

そういえば、自分のことを「私」っていう男の先輩がおおかったな〜。

個人的には「オレとか僕でええやん」って思っていて違和感かんじていたな〜。

 

いろんなことがあったな。

 

教授なりには愛だったんだよな〜。

 

『「恥知らずの恥かかず」なんていわれたな〜。』

 

福井県の施設の人達って、

単純に当時で60代後半って感じだったから

 

そういう価値感っていうだけなんだろうな〜。

 

単純なジェネレーションギャップってやつ。

 

今になって思う。

 

「やつ」っていく言葉遣いだめっていわれたな。

 

いろいろと規制が多かったな〜。

 

あれってほんまに大切って思っているんだよね。

 

僕はよく思っていたけど、

言葉遣いより、内容さえ伝わったらいいっておもっていたな〜。

 

言葉遣いがよくないと、話をきかれないからっていう理由で、

言葉遣いを修正させられたけど、

みんな変な言葉遣いになっていて、

余計に話を聞かれなくなるだろうな〜って今になって思う。

 

でも当時は違和感はあったけど、

言語化できなかったな〜。

 

特に、福井の施設では流れが早いから、

そのようにしないと注意を受けまくるし。。

めちゃ怒らえるし。

怖かったし。

 

今だったら、笑ってふっとばせるけど。。

というかそもそもいかないけど。

 

へんな団体だったな〜。

変に言葉遣いをきにしていたな〜。

 

変わった団体だったな〜。

ふるーい考え方の団体だったな〜。

 

今日は力が抜けて、

親鸞会の痛みも笑いにかえれる感じ。

 

最近、痛みが癒やされているのを感じる。

 

いつか、

もっと笑い飛ばせるようになりますように。

 

そんな日がくるのは思ったより早いと感じている。

 

自分を生きる日がくるのはすぐそばにきているのかも。

 

そしたらこのブログを続けるのかな?

 

でも親鸞会でくるんしんだ人を癒やすこともやりたいことだから続けるんじゃないかな。

 

先が楽しみ♪

 

とにかく自分を生きる。

 

一度しかない人生、自分を生ききりたい。