僕と新たな人生と過去の痛み

S会という不健全な宗教団体で長年幹部として活動し、やめてからも心の痛みと向き合い、新たな人生への向うためのブログ。すこしでも共感してくれる人と年齢問わずにお友達になれたら嬉しいな。月数回の更新頻度。ツイッターもやっています。

支配から抜けるための親鸞会

5/15にカウセリングを受けました。

 

かいているのは、5/16です。

 

人生は自由。

 

僕はとても支配されやすい体質です。

 

特に、自分にお世話してくれる人の思いを大事にするため、

 

その人のいう通りに動こうとします。

 

 

僕の父はとても支配的でした。

 

子供の頃から、

 

僕の行きたいところというより、

 

お父さんの行きたいところに旅行にいくことが多かったです。

 

僕が行きたい場所をいってもあまりきいてくれない。

 

イヤだといえば怒る。

 

 

いちいち覚えていませんが、

 

父は、僕にいうことを聞かせようとしました。

 

 

僕は、父親のいうことがきくことが大事だと思ってきいていましたが、

 

やっぱりイヤだと思ったときは反抗していました。

 

 

だけど、最後は、父親のパワーで説得されることが多かったです。

 

 

そんな風にして、父親に支配されて自分の人生をいきるということをしりませんでした。

 

また、父親はひとりよがりで、弱みを告白したら、

 

強くあれっていうことばかりいう人で、

 

僕は弱みを受け止めてもらえず、

 

いきてきました。

 

 

すると、とても不安定になり、

 

自分を認めてくれる人を探し続けました。

 

 

そんな中であったのが親鸞会です。

 

親鸞会では、とても優しくしてもらえました。

 

でも、優しくしてもらい嬉しかったけど、

 

その先にあるのは宗教でした。

 

僕が好きだから優しくしたっていうのももちろんあるだろうけど、

 

ある意味、宗教にいれるために優しくされたんですよね、それがわかると複雑です。

 

みな善意でそうしていました。

 

 

僕は、自分に優しくしてくれるN講師に褒められたいって思いもあり、

 

親鸞会に入りました。

 

 

次第に大学2年生の後半に学院にいったこと、

 

大学3年生のときに1ヶ月学院になったことにより

 

支配されるようになりました。

 

 

この変はざっくり書きます。

 

とういうのも、誰かに特定化されるのは未だに怖い。

 

いつかこの怖さがなくなってほしいけど。

 

なんでもどこでもオープンに語れるようになりたい。

 

 

大学三年生以降は、

 

支配されて、

 

K講師からもひどい扱いをうけ、

 

社会人になったとき、ある親鸞会員と一緒に仕事をしたのですが、

 

今度は彼に支配され、

 

僕は支配され続けました。

 

 

それで、精神的にも経済的にも本当に辛くなって、

 

自分と向き合うようになったのです。

 

 

それから、少しづつ支配から抜けようと思いだしました。

 

思考の支配を抜けようと思いました。

 

今思い出しても気持ち悪くなります。

 

支配されていた感覚は気持ち悪いです。

 

とくに一緒に仕事した親鸞会員は、

 

自分の目的を達成するためにこちらをコントロールする人間でした。

 

僕は優しくて人に喜んでほしいと思っていたから、

 

彼の考えの通りにしていたら、

 

見事に裏切られて、

 

ひどいダメージを受けてしまいました。

 

 

そんな辛いことが沢山あって、

 

僕は支配から抜けることを決意し、

 

自分と向き合うようになったのです。

 

 

それから親鸞会の支配からも抜けたいと思い、

 

一つずつ彼等から植え付けられた考えを外して、

 

だんだんと自由になり、

 

ある時、親鸞会をやめるという決断をしました。

 

 

それから約1年半がたった今。

 

 

自由になって、

 

ようやく自分を取り戻し、

 

自分らしい人生に舵をきっています。

 

 

そのカウンセラーいわく、

 

きっとお父さんだけでは支配から本気でぬけようとおもわなかった。

 

親鸞会があったからこそ、ダメージをものすごく受けたからこそ、

 

支配されるという思考から本気でぬけようとおもったんだ

 

って聞かせてもらいました。

 

 

なるほど、そうかもしれない。

 

でもまだ完全ではない。

 

まだ親鸞会にいてマインドコントロールされて、

 

自分を生きれなかったことを後悔している。

 

 

いつかは、

 

それが必要だった。

 

支配という子供のころからのパターンをぬけて、

 

力強く自分の人生を歩むために必要だった

 

と心から言えるようになりたい。

 

 

そのために、今後も自分と向き合っていきたい。

 

やりたいことをどんどんすすめていきたい。