僕と新たな人生と過去の痛み

S会という不健全な宗教団体で長年幹部として活動し、やめてからも心の痛みと向き合い、新たな人生への向うためのブログ。すこしでも共感してくれる人と年齢問わずにお友達になれたら嬉しいな。月数回の更新頻度。ツイッターもやっています。

親鸞会の過去を一般の人にどう伝えるか。

今日は5月13日。

 

僕が誰かに自分のプロフィールを伝えるとき。

 

いつか宗教団体に入っていた過去は伝えたいと思っている。

 

なぜなら、親鸞会に入って、

 

洗脳されてとても苦しんで、

 

そこを一生懸命乗り越えてきたから。

 

 

それがなければ、

 

今の自分は語れないから。

 

 

だから、上手に伝えたいと思っている。

 

でも、親鸞会という名前は出さないでおこうと思う。

 

僕が一般に宗教団体に入っていた、

 

ということをかたる頃には、

 

きっと親鸞会での恨みはきえているから。

 

恨みのためにいう訳じゃないから。

 

親鸞会の問題を世の中に伝えるために、語ることはないから。

 

詳しく聞かれてもそれはきっと答えないだろう、と思う。

 

 

また親鸞会も洗脳をしなくなっているかもしれないから。

 

もしかしたら親鸞会自体存在しなくなっているかもしれないけど。

 

 

でも、でもね、

 

僕は紛れもなく宗教団体にいた。

 

長い間いた。

 

その間は、親鸞会が全てだった。

 

親鸞会でいわれる考え方をもっとも大事にした、根本にした。

 

仕事の選び方も、自分の心は一切大事にせずに、

 

親鸞会のためになるように、ただえらんだ。

 

恋人もつくっちゃいけないって

 

そんな暇があるなら、親鸞会のために活動しなきゃいけないって思った。

 

学生のときは、

 

親鸞会のためなら、僕が悪くなくても、高森さんの身代わりになって牢屋に入ってもいい、

 

とさえ思ったこともある。

 

 

それほど深く信じていた親鸞会

 

 

そこから、周りの人の

 

ものすごーーーーい手厚いサポートによって、

 

数年かけて、親鸞会からの洗脳をといてもらった。

 

 

洗脳がとけていく最中は、自由に対する喜びと、

 

ものすごい苦しみを味わった。

 

洗脳がとけた時、

 

僕は自分の人生をあまりにもいきてこなかったことに愕然とした。

 

 

つらすぎた。

 

自殺したいと何度もおもった。

 

自殺しようかな、なんて言葉を口にするようになっていた。

 

 

そこから、また

 

周囲の人の精神的、経済的なサポートをうけた。

 

カウンセリングもうけて、

 

どうしたらこの痛みを癒せるか探した。

 

本当にその方法を探した。

 

 

徐々に回復してきた。

 

そして、今後やりたいことは、この経験を活かしたことをやりたいと思っている。

 

 

だから、

 

僕の人生を語るときに、親鸞会を抜きにしては語れない。

 

でもわざわざ宗教団体名は言おうとは思わない。

 

なぜならそれで変なことをかんがえる人もいるから。

 

そこは語る必要はない。

 

 

ただ、今の自分をつくったのは、

 

親鸞会でのつらい経験があったから

 

という事実は真正面から受け止めたいし、

 

そうなのは間違いないし、

 

そこを乗り越えてきた自分を誇りに思っているから。

 

 

 

だから、宗教に入っていたことは

 

隠さないようになれるんじゃないかなって思う。

 

 

今は、いたずらに過去をいいたくない。

 

宗教に入っていたことは、いいたくないと思っているけど。

 

 

でも、カウセリングの場では、かなりいってきたけど。

 

 

今はまだ

 

宗教団体に入っていたという事実がわかると変な人とみられそうなのでイヤ。

 

だからあまりいわないけど。

 

 

いつか、言えるところまで、この心の痛みを消化して、

 

すべてのことを活かして、

 

自分を生きたい。