人間の本性が悪という思い込みで僕はずっと苦しんでいます。
僕には僕を支えてくれる支援者さんがいます。
今まで親子の人間関係の問題を彼と一緒に進めてきましたが、ある程度めどがついてきました。
といってもまだまだ親子関係の問題解決もまだ気を緩めることはできませんが。
そして、彼は、
「これからは宗教の洗脳を解くことだね」って昨日言ってくれました。
そうです、
僕には本当に根深い洗脳があり、
それがあらゆる問題を引き起こしています。
親鸞会に叩き込まれてしまった
人間の本性は悪
という思想。
教えの中では人間の本性は我利我利だと聞かされました。
人間の本性は、自分の利益の為なら、人のことはどうでもいい、人のことはどれほど傷つけても気にはならない
というものを本性にもっている、と。
具体例では、昔、雪山で遭難した人達が生き延びるために友人を食べたり、
戦時中の食糧難に瀕した人達が生き延びるためにこれまた友人を食べたという
人間は切羽つまれば、どんな恐ろしいことでもする。
そんなおぞましい話を何度も聞かされて洗脳を受けてました。
書いているだけで気分が悪すぎます。
人間の善性を真っ向から否定する言葉です。
善いことをするのは、しょせん、人の目を気にしているからであり、
また余裕があるからできるのであって切羽つまればみな悪性をさらけ出す
人間にはよい心など持ち合わせていない、というのです。
この世界には善人もいるし、悪人もいるという考え方があるが、
自分は善人と思うのはうぬぼれであり、
それは信仰が浅かったり、自分のことを知らないが故に思うこと。
真剣に求道し、よいことを実践すれば、よいことのできない自分は悪人だと次第にわかり、
さらに阿弥陀仏の本願にあえば、
みんな自分が極悪人だということが知らされ、その極悪人である私がそのまま、永遠の幸福に救われる、と聞かされました。
この考え方を僕は心の底に、本気で入れてしまった、のです。
やめて数年たってもなくなっていません。
しかし、もう僕は親鸞会に戻ることはないし、
ちゃんとした浄土真宗も今は求める気がおきません。
親鸞会にいるときは、こういう思想を心に入れてしまっても、
求道して阿弥陀仏に救われさえすれば幸せになれる、という望みがあったので、
親鸞会で求道するほど苦しみますが、ただゴールがあったので苦しくとも生きれました。
しかし、今の僕は、
自分やみなは悪人であると思い苦しむけど、助けてくれる教えや仏もない、
というような状態です。
本当に地獄の苦しみです。
これが僕の心の底にあるんですよね。
つまり、親鸞会に戻ることのない僕は、
「全ての人間の本性は悪」
という感覚を心の底から拭い去らない限り、穏やかに生きれないことになります。
これを抜くことは本当にできるんだろうか?
あまりにもおぞましい闇の感覚に
僕は向き合うことができるのだろうか?
ここまで文章にかいていても、首も痛いし、気持ち悪い感覚になります。
やばいなって正直思います。
ただ、やりすぎたり、無理もしてはいけません。
バランスを欠きます。
でも、僕が幸せになるためには、
この恐ろしい親鸞会に植え付けられてた洗脳を抜かないといけません。
ああ~しんどすぎです。
やばいです。
闇すぎです。
これは本当にやばいと思います。
ってことでこれ以上深堀りせずに、
今から気分転換に外に出かけたいと思います。