僕と新たな人生と過去の痛み

S会という不健全な宗教団体で長年幹部として活動し、やめてからも心の痛みと向き合い、新たな人生への向うためのブログ。すこしでも共感してくれる人と年齢問わずにお友達になれたら嬉しいな。月数回の更新頻度。ツイッターもやっています。

親鸞会ではフロイトのいう「同一化」がおこり、皆同じようになっていた。

今日は僕が勉強しているフロイトの心理学からみていきたいと思います。

ちなみに、正確にいうと、防衛反応の一つの「同一化」を言語化したのは、フロイトの娘のアンナ・フロイトです。

フロイトは有名なので、わかりやすいかなって思ってそう表現しました。

 

僕たちは、外からくる危険な刺激をさけるために、心の防衛反応というものがあります。

 

親鸞会って危険な刺激が一杯でしたよね。

安心感がなかった。笑

 

依存的な安心感はあったが。笑

 

親鸞会でよく行われている結果、みながよくする心の防衛反応が「同一化」です。

 

福井県の施設に行った時、

 

高森さんと同じようにやれってよく言われました。

 

高森さんと同じ髪型にしろ、

高森さんと同じ髪色にしろ、

高森さんの言葉を金言にしろ、

一日一訓の通りにしろ、

善知識と同じようにするのがとおとい(by蓮如さんの言葉)

朝起きれなったら、高森さんのことを思って、高森さんならきっと起きるだろうって感じて起きてみろ。

 

とのこと。

 

掃除に至っては、

学生時代高森さんは毎日掃除されていた(いつの話やねん 笑)

だから学院では掃除を徹底している。

 

「高森さんの言われている通り行動している方だ。

さすが、Aさん(施設トップ)は違う」と教授が言っていました。

 

まさに、

高森さんになろうとしていましたし、

そうすすめられました。

 

でもね、

考えてみてください。

 

人は一人ひとり違うのです。

 

同じ人間になることはできないし、

それは自分をすてることになります。

 

せっかくうまれもった生なのです。

 

自分を生きたほうがいいのではないでしょうか?

 

 

ちなみに、

僕は、悪くいえば洗脳されやすい、よくいえば柔軟性が高く吸収力が高いため、

最初は違和感が感じていましたが、

 

長くその施設にいるうちに、

彼等のいうとおりにしないと、

あまりにも苦しくなり、

彼等の思想にそまっていきました。

 

それでいやいやながら同一化を余儀なくされ、

一端それにそまると、同一化を施設をでてもやるようになりました。

 

一日いっくんの言葉が正しいと教育され、

それを自分にあっていないのに、

それさえやれば幸せになれるんだと思い、

実践してきました。

 

どんどん苦しい人生になりました。

 

自分を生きないと本当に苦しいです。

 

その施設のように、

皆が高森さんの価値感の通りいきていて、

自分だけがそうじゃないと段々不安になります。

 

実際に、高森さんの価値感でいきろ、

と攻撃されたりもします。

厳しく詰められることも何度もありました。

 

すると、今まで自分を生きていたのに

あまりにも苦しいため、

高森さんの価値感に合わせざるをえないのです。

 

で、ボクは、相手の価値感をまるで自分の価値感のように

とりいれれる性質をもっているため(共感性が高い)、

段々と高森さん?学院?の価値感が自分の価値感になるのです。

 

つまり、同一化という防衛反応は、

自分の価値感でいきることを否定される学院においては、

自分の価値感でいきることが危険になる学院においては、

そうせざるをえなかったのです。

 

学院の教授しかり、親鸞会の講師しかり、

学生時代の先輩しかり、

同一化をしている人達は沢山います。

 

学生時代、サークルの先輩はよく似た顔をしていました。

あまり個性を感じ取れなかった。

同一化ですね。

 

自分だけ違うと攻撃される危険を感じていたのでしょう。

まるで戦時中のようです。

 

親鸞さんの教えも皆同じような伝えかたをしていました。

少しでも自分らしい表現を加えると、講師に怒られた。

こわかった。しかもその怒りは理不尽で、内容は変わらないのに、ちょっとした言葉遣いで怒られた。

それをでかい声でみなの前でさも間違いかのように訂正させられた。

内容一緒でも言葉が違えば間違いかと思うようになった。

講師の人に、会合中にあてられたり、声が震えるようになった。声がでなくなった。

また怒られるとおもって。

すると、声を大きくだせ、と怒鳴られた。

ふりしぼって声をだした。

恐怖体験だった。

だんだんと心が苦しくなる、イヤな講師を立てなければならない、のもいやだった・

 

それは正しく伝えるためって言われているけど、

果たして高森さんの表現が正しいとも限らない。

高森さんも一人の人間だし、高森さん流の伝え方なのに。

とにかく指摘されることも多く、

恐怖もあったので、だんだんと同じような言い方以外でしか教えをとかなくなった。

 

僕が社会人に話しをした時、

「講師と同じいいかたですね」

と言われたこともあった。

 

実は「同一化」という防衛反応であることをしった。

 

 

ふりかえってみたら、

自分をいきていなかったことが悔やまれた。

 

自分のことばじゃなかった。

 

自分を生きていないって本当に悔しいことですよね。

 

だから、

 

僕はこれから自分を生きる。

 

自分を生きる。

 

そう強く決めている。