僕と新たな人生と過去の痛み

S会という不健全な宗教団体で長年幹部として活動し、やめてからも心の痛みと向き合い、新たな人生への向うためのブログ。すこしでも共感してくれる人と年齢問わずにお友達になれたら嬉しいな。月数回の更新頻度。ツイッターもやっています。

昨日たまたま会員にあったときに感じたこと

生活していると、たまたま会員にあうことがある。

 

そうだな、やめてから、3−4回はあったかな。

 

約束しているわけではないけど、たまたまね。

 

あ、そういえば、2日前にも駅で会員をみかけた。

 

こっちから声はかけなかったから、相手は気付いていなかったと思うけど。

 

 

そんな感じで、これからも生活しているとあうだろう。

 

そこでしゃべることはないけどね。

 

 

昨日、会った人は、そこまで仲良くはないけど、

 

何度かしゃべったことがある人。

 

僕よりも年上の人。

 

彼は、自分の意志でしっかりと人生を選択しているタイプ。

 

親鸞会の影響は受けているけど、そこまでふかく傷ついていないほうだと思う。

 

僕には色を感じる感覚をもっていて、この人は何色って感じとれるんだよね。

 

今はオーラがみえるわけじゃないけど、〇〇色だなって、すべての人に対して思うわけじゃないけど、思う。

 

子供の頃は、オーラがみえていて、自分の周りの人たちは、この人は〇〇色みたいな感じで思っていた。

 

とんでいく鳥は〇〇色みないな感じだった。

 

話をもどして、親鸞会員にあったときに、

 

いつも共通して感じるのは、灰色って感じなんだよな。

 

 

その方はそれほど灰色感はなかったけど、やっぱり薄くあったな。

 

なんで灰色になるのかっていうと、

 

みんな自分の波長ってあると思う、

 

それが色として表現される。

 

カラフルないろとして。

 

その波長をおさえている、自分の個性を否定されてきている、

 

おさえこんできている、

 

 

だから、個性がなくなっちゃうんだよね

 

 

それで、灰色の雰囲気になるんだと思う。

 

 

あと、僕は会員をやめたから、どんなふうに思われているだろう

 

って怖かった。

 

 

会員をやめた人って見下されているのかなって思ったよ。

 

怖かったな。

 

 

その方は、いいかたではあるので、

 

そこまで思わないだろうけど。

 

 

この怖さを減らしたい。

 

いつも、誰とあっても、

 

何を発言しても

 

堂々としている自分でいたい。