僕と新たな人生と過去の痛み

S会という不健全な宗教団体で長年幹部として活動し、やめてからも心の痛みと向き合い、新たな人生への向うためのブログ。すこしでも共感してくれる人と年齢問わずにお友達になれたら嬉しいな。月数回の更新頻度。ツイッターもやっています。

親鸞会の痛みをいえていないこと。

僕は親鸞会の痛みを周りの人にいえていなかった。

最近、ようやく三人の人にいえた。

親鸞会のことをよくわかっている人二人と、母親。

 

僕は昔から自分の弱音をいわなかった。

それは父と母との関係からくるものなんだけど、

いじめられたことも、どんな辛いことがあってもいわなかった。

友達にもいわなかった。

いつも強がって、人に与えることばかり考えて、

それで心にたまりすぎて疲れ果てていた。

 

痛みって癒やさないといけないよね。

痛みって抱えているままでは前にすすめないよね。

 

親鸞会ではたくさんの人にかなり深く傷つけれた。

そしてその痛みの僕は誰にもいわなかった。

我慢し続けた。

 

親鸞会をやめてから

それらの痛みに気付き、

なかなか前にすすめない。

痛みをかかえたままでいろんなことに挑戦した。

でも結局人と深くつながれずに僕はその関係性をたもてなかった。

 

いろんなことに挑戦するなかで、

なぜ人とつながれないのか、

なぜ心を開けないのか、

それらに目がいくようになった。

 

少しづつ、少しづつ。

 

すると、

子供時代からの沢山の心の傷に気付いた。

これららある程度癒せてきた。

 

あとは親鸞会でできた傷を癒やすことかな。

僕はとても繊細な人間。

そんな人間が親鸞会の内部まで入ってしまった。

その時の傷は半端ない。

 

友達には伝えることができた。

まだ全ては伝えれていないが、

ある程度は伝えれた。

だいぶ楽になった。

他にも聞いてくれる人がいいなって思う。

 

僕も聞いてあげたい。

お互いに傷を癒やし合いたいと思う。

助け合っていきていたい。

 

正直、このブログを書くのはかなりしんどい。

なので文章もまとまりのないものになっているなって感じている。

 

きれいに書こうとエネルギーがめっちゃいるし、

書きたいこともかけなくなったり、

心からの言葉ではなく頭の言葉になるから、

 

下手くそな文章だと思うけど、

タイトルと内容があっていない場合も多いかもだけど、

そこはご了承願いたい。

 

結構、書くだけでヘトヘトになるから。