僕と新たな人生と過去の痛み

S会という不健全な宗教団体で長年幹部として活動し、やめてからも心の痛みと向き合い、新たな人生への向うためのブログ。すこしでも共感してくれる人と年齢問わずにお友達になれたら嬉しいな。月数回の更新頻度。ツイッターもやっています。

親鸞会のダミー活動と影響

今日は、親鸞会のダミー活動に関して分析したいと思います。

大学では大学の許可をえずにサークル活動として宗教活動を行っていました。

 

でもね、これって、本当はやっちゃいけないよね。

最初から宗教活動だといわない。

講師は配慮だというが、それは彼らの都合なんですよね。

客観的にみたら騙しであり、社会ではまったく通用しない論理。

なので、彼らも学生とかまだ社会を知らない人にしか強く言えないんですよね。

 

もし最初から宗教活動ですって学内で言っていたら、

きっとすぐに排除されていたと思う。

 

 

しかも大学生を洗脳して、

学内の活動は善だなんて信じ込ませる。

完全に反社会活動なのだが。

 

今は大学の活動もへって、

ネットでも活動になっている。

心理学だの、なんだのを最初の窓口にして、

出口は親鸞会員への勧誘っていうダミー。

 

でね、長年学生時代からダミー活動をしていると、

ダミー活動が当たり前になるんですよね。

次から次へと新たなダミーを作り続ける。

 

自分のなかでは、全人類が救われるたった一本の教えを伝えるための手段であり、

最初から浄土真宗って言っても伝わらないだろうから、という配慮という

大義名分があるので、

やっちゃいけないこともやれちゃう。

 

でもね、考えてみてください。

心理学を学びたいと思っていた人がいつのまにか少しづつ宗教の話が増えて、

出口が親鸞会員だったら腹たちません?

これってダミーやないかって。

人の気持ちを考えたらすぐわかります。

 

ただ周りの人もいい人だし、親切されたしってことってのもあって。。

そうそう、宗教、特に親鸞会の人達って最初は好意的なんですよね。

だからこそ、一概に彼等のやっている行動に問題であっても

いいにくい。

 

さらに心理学を真面目にやっている人達にも失礼ですし、

その理論を作った人にも失礼なんですよね。

 

心理学の目的と全く違うところに誘導するための、

まさに心理学や様々な学問や入り口を餌にしているだけなのです。

まったく意図しない形で利用されると悲しいですよね。

今は問題になっていけど、きっと大きな問題になる可能性は十分にあるでしょう。

 

よく仏教と心理学というタイトルで一回目の講座をしていますが、

これなら出口を親鸞会にいしているのはおかしい。

それぞれの学問の説明をし共通点をかたるだけとか、タイトル以外の目的がなければ納得できますが、

結局は宗教勧誘が目的とされている。

目的が親鸞会勧誘なら、最初から主催者を親鸞会にしなければならない。

しかもサイトのどこかにちっちゃく表示するのではなく、

参加した全ての人にわかるように表記しなければならない。

 

あとね、その講座をしている方も、

その共通点をしった感動とか、

仏教の素晴らしさから行っていたり、

人に喜んでもらいたいっていう

つまり善意だったりする場合があるから悲しいです。

 

ただ、根本には全人類が救われるたった一本の道を伝えているから

何をしてもいい。

ダミーなんかちっちゃなこと

っていう信念があるところが問題かな。

 

世の中に沢山あるうちのひとつの宗教だという認識がわかっていない。

自分の信じているものだけが絶対である、それ以外は間違いであるっていう認識がとてもナンセンスだなって思うんですよね。

親鸞会の根本、とくに高森さんの根本の問題はここにあるかなって思います。

このあたりはまた別に記事をかくかもしれません。

 

話は戻りますが、そうやってダミーばかりしていると、

敏感な人にとっては自分は何か怪しいことをしているのかなっていう認識が生まれ、

宗教活動以外でも自分は怪しいんじゃないかっておもったりします。

プライベートでも、ダミー的なしてしまったりします。

 

自分は怪しい

ダミーをして目的を果たそう

という感覚が染み込んでくるんですね。

 

これをやるとよのかなで完全に嫌われます。

信用されません。

 

そんな感じで、ダミー活動は何もいいことありません。

自分を傷つけ、周りを傷つけます。

 

また彼等の問題点は記載したいと思います。