僕と新たな人生と過去の痛み

S会という不健全な宗教団体で長年幹部として活動し、やめてからも心の痛みと向き合い、新たな人生への向うためのブログ。すこしでも共感してくれる人と年齢問わずにお友達になれたら嬉しいな。月数回の更新頻度。ツイッターもやっています。

M講師に、講義中にひどく責められたこと。

社会人のとき、M講師に言われたことがある。

 

ある会合で100人くらいはいたかな。

 

M講師は担当講師ではなく、

 

東大卒で、いかにもインテリで傲慢な感じの方なのですが、

 

彼は支部長に招待されて、幹部会合を確か1月3日とかに開いていました。

 

 

会合の中で彼に指示されて、

 

僕は親鸞会の新聞を読んでいました。

 

少し声が震えていました。

 

というのも、親鸞会の講師はちょっとでも間違えたら指摘をするので、

 

僕はとても怖がっていました。

 

でも、当時の僕は強がっていて、怖いって言ったことはなかったし、

 

怖いって感じていないと思っていました。

 

だけど声は震えていたんだですね。

 

怖かったんですね。

 

僕は怖いと感じる弱い心をもってはだめだと思っていたんです。

 

 

それで大勢の前で、

 

指示された、高森さんの年頭所感を読んでいたのです。

 

文章の一番最後に、書いた人の名前ということで、

 

高森顕徹

 

と書いてありました。

 

僕はそれをそのまま読もうとしました。

 

でも、そのまま読むと何か危険だなっていうのも一瞬感じました。

 

だけど、書いてあるとおりに読まないと、

 

その読み方は間違っているって

 

怒鳴られそうなので、それもそれで怖いので、

 

書いてあるがままに読むのがいいだろう

 

と思い、よみました。

 

 

「・・・・・高森顕徹

 

 

すると、M講師が

 

「カインド、先生だろうがーーーー!(怒り)(怒り)」

 

と突然でっかい声で叫びました。

 

 

僕はびっくりしました。

 

心が氷りました。

 

「先生ってつけるのが常識だろうがーーーー!!」

 

 

すぐさま、僕は、

 

「申し訳ありませんでしたーーーーー。」

 

と大きく緊張した声で、自分を卑下するかのように答えました。

 

僕は自分を否定し、必死に彼に謝罪をしていました。

 

そして自分をせめました。

 

その後、数秒してから、

 

僕は、「周りになんて思われたかな。責められる弱い人間って思われたかな。」

 

なんて気にしていました。

 

それから数分して、講義中に、

 

「ふざけんな」

 

っていうべきだったかな。

 

ってちらって思いました。

 

 

でも、僕が怒ると、会合も一旦ストップするし、みんなの空気を乱すのも悪いし。

 

ここは僕が我慢しておこうとも思いました。

 

 

そんな一コマを思い出しました。

 

 

 

振り返れば、僕は彼に会うたびに責められることが多かったと思います。

 

学生のころから責められていたので、

 

社会人になっても責められていたました。

 

無駄に恐怖を叩き込まれ、

 

無駄に叫んでいました。

 

それで僕は恐怖におびえていました。

 

 

そんなことを今日思い出しました。

 

 

でね、今、思えばね。

 

めちゃめちゃ腹が立ちます。

 

なんでそんなに怒られなきゃいけないのかって

 

ふざけんなって思います。

 

 

そういえば、

 

僕が自営業をしていたときも、

 

20人くらいの会合の中で、Mさんに、

 

「カインドはちゃんと税金を払っているのかーーー」

 

なんて怒鳴られました。

 

Mさんに僕の仕事をいったことはないが、

 

お得意の報告のシステムで

 

勝手に僕の仕事が彼に伝えられ、

 

「ちゃんと税金を払っているのかーー」ってでかい声で責められました。

 

 

当然払っていましたが、

 

なぜみんなの前で、

 

なぜ僕の仕事のことを、

 

僕が責められなければならないのか、

 

わかりません。

 

 

当時は「それっておかしいよね」

 

って誰も言っていなかったし、

 

僕に心配して声をかけてくれる優しい人もいなかったのです。

 

 

そもそも、学生のころから、

 

Kさんに何度も変なことを聞かされていました。

 

「講師に注意されることはありがたいこと。

 

注意する講師に近づくのはさけたくなるけど、

 

それでも近づくことが善なのだ」、

 

と。

 

しかもそれを蓮如さんの言葉の解説の一部として語るのです。

 

そんなふうにマインドコントロールされていたから、

 

腹が立たなかったのかもしれません。

 

Kさんが、蓮如さんの言葉を自分の都合のいいように解釈している行為も許せませんが、

 

まあ、ここでは触れないことにします。 

 

 

話を戻しまして、

 

そんなふうに、M講師の独擅場で、

 

それより下の立場の招待をした講師は意見をすることもないですし、

 

 

ほんとうに人権侵害というか、

 

おどしとか

 

責める

 

といった行為が善という名のもとに、平然と行われていました。

 

 

ほんまにふざけんな

 

って感じなんですよね。

 

 

きっと、僕が自由にいきていることが単純に羨ましくて、

 

まだ若くて従順だったから、その羨ましい気持ちをぶつけてきたのでしょう。

 

公然と行う弱い者いじめってやつですね。

 

 

まーむかつきますが。怒

 

 

今日は、車の運転中に

 

それらのことを思い出したので、

 

車がとまったときに、

 

イメージの中で、Mさんの顔を殴りまくってやりました。

 

「おら、おら」

 

ってでっかい声をだしました。

 

メガネを割るというイメージしました。

 

実際にパンチをして、

 

結構本気で、

 

彼のメガネをぶちこわすイメージでパンチをしていました。

 

 

そんなことをやったら多少スッキリしました。

 

まだスッキリしていない感じもありますが。

 

 

ほんまに、偉そうにされたなーって思います。

 

ほんまに、脅されたな〜って思います。

 

心の健康上大変よろしくないです。

 

自尊心をぐちゃぐちゃにされました。

 

 

あ〜ムカつく

 

まじでムカつく

 

あんなやつにサイテーの扱いをされてほんまにムカつく

 

 

しかも、これで善をしていると威張っているって

 

本当に井の中の蛙すぎて、

 

アホすぎて、、

 

 

まあ、ちょっと好戦的に書きましたが、

 

普段僕は温厚で

 

イメージのなかで怒るだけでも大変疲れます。

 

僕はとても繊細なので、

 

怒るっていう行為が

 

一般の人よりも体によくない影響を与えてしまうのです。

 

 

今も書いていてしんどいです。

 

首とか肩に力が入っていて痛いです。

 

神経によくないな、って感じます。

 

 

 

こんなふうに、親鸞会の人たちにホンマに沢山傷つけられました。

 

 

 

早く親鸞会での傷を癒やし、

 

過去を忘れ、

 

「自分」を生きたいと思います。

 

 

今日も読んでいただきありがとうございました。

 

こんな感じで過去のことを記録しながら、今の感情を感じて、

 

当時の自分を抱きしめて、癒やしていきたいと思います。

 

 

記事をここまで書いてから、

 

「あ〜ほんまにこわかった〜」

 

「もう大丈夫やで、よう頑張ったー。」

 

って自分にいって自分を抱きしめてあげました。

 

 

ちゃんちゃん