僕と新たな人生と過去の痛み

S会という不健全な宗教団体で長年幹部として活動し、やめてからも心の痛みと向き合い、新たな人生への向うためのブログ。すこしでも共感してくれる人と年齢問わずにお友達になれたら嬉しいな。月数回の更新頻度。ツイッターもやっています。

流されやすさを柔軟性にかえて。

大学時代は、

 

Kさんから、

 

「お前は流されるから、世の中の人と接するな。

 

高森会の人たちとできるかぎりいろ。

 

高森会の講座にできるかぎり参加しろ。」

 

 

って言われて傷ついたよ。

 

まず、お前は流されるからだめだ。

 

ってよく言われたんだけど、

 

もしくはそういう姿勢をとられたんだけど、

 

 

これって僕の柔軟性を否定しているんだよね。

 

僕ってすごく敏感だから、まだまだ当時の感覚が自分の中に残っていてさ、

 

ついつい流されなければってなっちゃって。

 

自分の感覚を大事にできなくなってさ。

 

 

本当に今も辛いよ。

 

大学時代の影響がまだまだ残っているよ。

 

 

健全な社会人は、

 

自立していて、しっかりと自分の思いを尊重している。

 

いつだって、答えは自分の中にあって、

 

自分で答えを決めている。

 

 

で、環境は自分の人生を歩むためのサポートって感じ。

 

 

環境に自分の感覚を委ねすぎていない。

 

 

それが伝わってくるよ。

 

そのたびに、

 

自分がいかに、流されようとしていて、

 

自分の感覚を尊重できていないか、感じる。

 

 

それが毎回つらい。

 

胸に穴があきそうな痛みがあるよ。

 

今もブログを書いていてある。

 

 

 

本当は、自分の感覚を尊重しつつも、

 

今の時代に重要な柔軟性として活用したいよ。

 

今の周りは、

 

ポジティブな言葉をかける人しかいないけど、

 

 

まだまだ当時のネガティブな言葉が自分の中で、

 

思い出されて、今も頭の中で声が聞こえてしまう。

 

 

ちょっとずつ減っているからいいね。

 

 

ちょっと漠然としたブログだな〜って思うけど、

 

まあいいかあ