流されやすさを柔軟性にかえて。
大学時代は、
Kさんから、
「お前は流されるから、世の中の人と接するな。
高森会の人たちとできるかぎりいろ。
高森会の講座にできるかぎり参加しろ。」
って言われて傷ついたよ。
まず、お前は流されるからだめだ。
ってよく言われたんだけど、
もしくはそういう姿勢をとられたんだけど、
これって僕の柔軟性を否定しているんだよね。
僕ってすごく敏感だから、まだまだ当時の感覚が自分の中に残っていてさ、
ついつい流されなければってなっちゃって。
自分の感覚を大事にできなくなってさ。
本当に今も辛いよ。
大学時代の影響がまだまだ残っているよ。
健全な社会人は、
自立していて、しっかりと自分の思いを尊重している。
いつだって、答えは自分の中にあって、
自分で答えを決めている。
で、環境は自分の人生を歩むためのサポートって感じ。
環境に自分の感覚を委ねすぎていない。
それが伝わってくるよ。
そのたびに、
自分がいかに、流されようとしていて、
自分の感覚を尊重できていないか、感じる。
それが毎回つらい。
胸に穴があきそうな痛みがあるよ。
今もブログを書いていてある。
本当は、自分の感覚を尊重しつつも、
今の時代に重要な柔軟性として活用したいよ。
今の周りは、
ポジティブな言葉をかける人しかいないけど、
まだまだ当時のネガティブな言葉が自分の中で、
思い出されて、今も頭の中で声が聞こえてしまう。
ちょっとずつ減っているからいいね。
ちょっと漠然としたブログだな〜って思うけど、
まあいいかあ